道東ろぐ4 〜永遠の水平都市、札幌〜
それは、どこかニューヨークと似ている。
想定よりも、早い電車で真駒内を出ることができた。
空港に戻るまでにまだ時間があるので、札幌散策をすることに。
ということで、「札幌 建築」でググる。
「都市名 建築」と検索するだけで、たいていは有名建築リストが出てくる。まとめてくれている人、本当にありがとう。
真駒内から札幌へは、南北線に乗る。南北線で札幌を超えて北側にちょっと行ったところに有名な建築がある。
アントニン・レーモンドの協会建築「聖ミカエル協会」だ。
実は、現在の僕とアントニン・レーモンドは深い関係がある。詳しくは書かないが、そういう理由で行ってみることにした。
南北線の駅名は、さっぽろ駅から北側に入った途端に、「北◯◯条」という無味乾燥な名前になる。北に行くほど数字が大きくなる。
グーグルマップ上で見ていると、近いと思われる2地点が、実はめちゃくちゃ遠いというトラップ、ぼくはよく引っかかる。というかこれはトラップですらない。別に誰も仕掛けていない。自分で勘違いしているだけだが、今回もこのトラップにやられた。気づくのはいつも歩き始めてからだ。
そして、15分ほど歩いてやっと到着する。
↑おもしろいかたちをしている。あの模様はステンドグラスだろうか。
↑ワクワクして、正面に回るとなんと、、、工事中で入れない。
↑非常に気になる。中は木造のようで、部材を取り替えているのだろうか。せっかく歩いたのに…。滞在時間30秒で協会をあとにする。
結局歩いただけなので、時間はまだ余っている。この協会、北18条以外に最寄り駅がもう一つあるが、そちらもとても遠い。なので、そのまま札幌駅まで歩くことにした。
一本南の道路に移るたびに、「北◯◯条」の数字が減っていく。
札幌は、どこまでも水平に続くまちのようだ。
それは、どこかニューヨークと似ている。
ストリートとアベニューが、数字を変えながら永遠に続いていく。
札幌の歴史について、あまり知らないが、屯田兵の入植地だとしたら、入植地であるニューヨークと都市の構造が似通っているのも納得する(札幌の歴史勉強します)。
↑歩いている時に、やけに目に付いた集合住宅の階段の構造。こんなのあまり東京では見ない。中廊下っぽくすることで、雪対策にでもなるのだろうか。
↑歩くこと25分、札幌駅に到着。
空港で飛行機の時刻表をみると、なんと欠航が多い。台風21号の影響のようだ。始発の飛行機で来て良かった。
と、安堵して、釧路への飛行機のフライト情報をみると、なんと「天候調査中」。
もしかして飛ばない…。
ドキドキして、出発ゲートで待つ。
どうやら、霧がすごくて視界が悪いらしい。
そんだけかい!と思ったが、結局欠航となった。
天候による欠航の場合、航空会社は宿泊料や交通費などを出すことはない。
青年は、肩を落として空港のロビーの椅子でこれからの旅程を考え直した。
道東ろぐ3 〜五輪の遺産都市!?真駒内〜
初めての土地だからこそ、移動の中でまちを体感する
墓参バスに乗って、真駒内駅に戻った。
「北海道 建築」でググると、真駒内の有名建築として、頭大仏以外にもう一つヒットした。
場所は、真駒内駅から約1km歩いたところにある。
設計は、古市徹雄氏。
正直なところ、古市さんについてあまり知らなかった(ので今調べたところ)。
なんと、早稲田大学建築学科卒業ということで、直属の先輩であった。
そして、丹下健三の事務所で働いている。
ともかく、名建築として揚がっているので見に行くことにした。
建築を目的に歩いたが、どちらかといえば、真駒内というまちの方が面白いことに気づいた。
もともと、戦後に連合国軍のキャンプ地として接収された。その土地が返還されて、団地や1972札幌オリンピック会場の造成が行われた。
まちをあるくと、五輪という文字やエンブレムが目に入る。なんだか、時が止まってしまった場所のように感じたが、人は多く住んでいる地区のようだ。
↑駅の正面。駅のデザインもメタボリズム感がある。
↑駅前の時計塔には、五輪のエンブレムが!
↑大通りを進むと右手に現れる団地。デザインがかっこいい。これもまたメタボリズム感がある。
↑この建物の裏には、五輪のエンブレムが刻まれている。
↑その隣にも団地
↑「五輪団地」という遺産感溢れる名前。
↑個人的に、心地いいと思った団地。
↑一つの建物とは思えない景観。本当は、繋がっている。
↑グランドレベルのアーチがかわいい。雪国には、ピロティは必要不可欠な要素なのだろう。
↑内部空間
↑時々天井の高い部分があり、そこは天井がオレンジ色に塗られている。白と灰色の雪国の冬にはいいさし色なのかもしれない。
↑団地ベランダ側の風景。こちらもよい。
↑そうこうして15分ほど歩くと、六花亭の看板が出てくる。ちなみに、知らない人はいないだろうが、六花亭といえば、バターサンドで有名な老舗お菓子屋だ。
↑六花亭ホールということで、大きい。
↑正面玄関。犬もいる。
↑建物に入ると、奥には螺旋階段がシャープに上る。
↑入って右側が店舗。店舗はホール空間にある。奥が舞台である。
↑入り口上には、2階席のようなものが。
↑天井は普通の天井ではなく、まさにホールの天井。
↑ガラス面には、奥行きのある木のルーバーがしつらえてある。ホールとして利用される時は、このルーバーが閉じるという。
↑店舗の反対側には、カフェが併設されている。
木のルーバーの奥行きがあるため、光が柔らかく室内に入射していた。店舗の家具は、全て可動式で、ホールとしての利用が前提となっていて、天井、壁のホール設備と相まって、とても仮設的な空間であった。本業であるお菓子販売が仮設で、ホールとしての利用が本設の空間として作られている点はおもしろい。
ということで、古市さんの建築と、真駒内のまちをよく見ることができた。
旅行に来ると、つい遠くても歩きまくってしまう。
それは、初めての土地だからこそ、移動の中でまちを体感することができるという利点があるのだけど、やはり疲れる。
青年は、真駒内をあとにする。六花亭で購入した月うさぎの模様の饅頭を食べて、札幌駅へ戻る。
↑美味でした!
道東ろぐ2 〜尻を隠して頭隠さず大仏さまin札幌〜
台風21号が迫る中、無事に飛行機は羽田を飛んで、経由地の新千歳空港に到着した。
ここから、釧路への飛行機に乗り換える。釧路への飛行機は夕方発であり時間があったから、ぼくは札幌市内を観光することにした。
大地震が襲う2日前の出来事である。
個人的な話だが(と断る必要もないくらいこのブログは個人的な話しかしていない、いやブログとはそういうものだ)、以前北海道に来たのは、10年以上前の出来事だ。家族でトマムリゾートへ行った一回だ。だから、札幌市を訪れるのは初めてであった。
見たいのは、建築と都市。
滞在時間も少ないから、とことん目的を絞ることにしていた。
「欲張らない」
インドで学んだ哲学は、ぼくの中で生きている。
頭大仏殿(Hill of the Buddha) | 真駒内滝野霊園 【公式】
時間が余ったら、札幌市内を歩き回ることに決めた。
真駒内滝野霊園までのアクセスは、公式HPで詳しく書いているのでそちらを参照すればいいが、さっぽろ駅から市営地下鉄に乗り、南北線の南の終点真駒内駅まで行きそこからバスで向かう。
↓ JRエアポートライナー
札幌
↓ 地下鉄南北線
↓ バス(墓参バスなら無料!)
真駒内滝野霊園
真駒内駅から真駒内滝野霊園までのバスは、普通の路線バスでお金を払って行く方法の他に、墓参バスという無料バスを利用することもできる。墓参バスは、本数が極端に少ないため基本的には有料バスに乗ることになると思うが、ぼくは午前中に行ったことで行きも帰りも墓参バスに乗ることができた。
↑墓参バスの時刻表。ぼくは、10:10発に乗り、11:30発で戻った。見学時間としては充分だった。
以下、写真とともにお伝え。
↑墓参バスは、3番のりばから出る。墓参バスといっても普通の市営バスと同じ見た目。ぼくよりあとに乗ってきた学生と思われる3人組の男子たちは、これが霊園に行くのかそわそわしていた。すると、運転手が「どこに行きたいの?」と聞く。学生たちは「これであってました。」と答えたが、運転手はさらに「どこに行きたいの?」と詰め寄る。学生が懲りて「霊園です。」と言ったら、運転手さんは「このバスじゃなくて、2番のりばにくるバスの方が近くに行くよ。」と伝えていた。確かに、路線バスの方が、近くに行くけど、無料バスでも相当近くまで行くことはこの記事を見ればわかるでしょう。
↑20分ほど走って、霊園に到着。霊園の門をくぐってすぐの「モアイ像前」で下車。33体のモアイ像が並んでいる。なんだここは…。
↑整列するモアイ像。
↑バス停からは、もう頭大仏が見えている。非常に広大なランドスケープ。
↑正面
↑水庭。ビシッとした幾何学配置。荘厳さと美しさと。
↑丘の下のトンネルを進む。
↑現れる巨大な大仏。
大量のコンクリートで地形を作り出し、作り出した丘にはラベンダーが植えられ、夏の一時期は紫色に彩られる。安藤忠雄らしい線対称の幾何学的配置は非常に美しく、その場に立って圧倒される。軸の強い構成は、施設の宗教性と相まう。コンクリートの表情の作り方に特徴があり、光の当たり方によって刻一刻と表情が変わっていく。コンクリートの表面の凹凸は、石像の大仏の袈裟のそれの柔らかい曲線を強調しているようだった。これまで訪れた安藤忠雄の建築と同様に、頭大仏のコンクリートは、とても綺麗であったが、一方で異種のコンクリート、土木的なコンクリートが見られた。素材の質感が、この建築、ランドスケープの規模の大きさを象徴しているように思えた。
↑水庭の両側には、円形の平面の建築が立っている。一方はカフェで、もう一方は施工時の写真が展示されている。
↑水庭
↑トンネルの天井のコンクリートの表情。
↑斜め後ろから大仏
↑後ろから大仏。コンクリートのギザギザと、石像(大仏)の柔らかな線。
↑大仏の周囲。
↑見上げる。
↑左側が土木的コンクリート。右側がいつもの安藤忠雄の綺麗なコンクリート。
とにかく巨大で、コンクリート使いすぎではないかと。
施主さんがどれだけお金持っているのか。
人口減少していく社会では、霊園にこそお金が集まり、有名建築が全国の霊園にできてくるのかもしれない。
空間体験として、非常に良いランドスケープだった。
最後に、真駒内滝野霊園という場所が結構ぶっ飛んでいる印象を受けた。頭大仏の周囲を少し散策した時の写真をのせておく。
↑ストーンヘッジが!これは飾り物ではなく、実際に使われているお墓であった。
↑モアイ像の横には、仏像が鎮座し、その横にアジアのどこかで用いられている何かが立っていた。
青年は、墓参バスに乗り込み、頭大仏をあとにする。
道東ろぐ1 〜旅の始まりはいつも急だ〜
「最悪」の始まり、だったのかもしれない。
旅の始まりはいつも急だ。
会社の制度で支給される夏期休暇。
土日を挟んでできるだけ長く旅に出れるように日程をおさえた。
約1週間の夏休みである。
ぼくは、どちらかというと、いや、かなり夏という季節が好きだ。
↑写真フォルダから探した今年の「夏」っぽい写真
真っ白の日差しは、もちろん暑いけど、ぼくを元気にする。
身軽な服装は、ぼくがどこまでも遠くに行くことをあり得る世界にしてくれる。
だから、夏は最大限遠くに行きたくなる。
でも、パスポートはない。
何故ならインドに置いてきたから(詳細は、以下インドろぐ参照)。
パスポートがないから、行き先は国内に絞られる。
日本で一番遠い場所。
沖縄、小笠原、北海道。
冬は寒くて行くことがないだろう北海道を目的地にすることにした。
そして、中でも一番遠いであろう知床を目的地とした。
もちろん遠いだけが理由じゃない。知床を見て見たかった。
そんなことを思っていると、いつのまにか旅は1週間後に迫っていた。
女満別空港から行くのか、釧路空港から行くのか。
直通便か、それとも新千歳空港経由か。
こんなことも結局は前日に決めた。
旅の始まりはいつも急だ。
ぼくにとっては、これがいつも通りになっている。
だから、そんなことはなんとでもなればよかった。
家から1歩外に出てしまえば、あとは進むがままで進んでいく。
何事もスタートを切ってしまえば、ほとんどの大仕事が終わったようなものだ。
ただひとつだけ、いつも通りではないことが旅の始まりに起きていた。
それは、台風21号だ。
家にテレビがない生活をしているから、直前まで台風21号が今年一の台風だなんて聞いたことも見たこともなかったけど、まさにこいつと追いかけっこになる日程だった。
最悪の始まりだった。
いや、「最悪」の始まり、だったのかもしれない。
ぼくは台風から逃げるように、始発の電車に乗り込み、始発の飛行機に乗って北海道へ飛んだ。
青年は経由地である新千歳空港へ向かった。
道東ろぐ0 〜今朝ぼくは、阿寒湖にいた〜
夢だと思っていたあれは、夢じゃなかった。
「道東」
この文字が何を表すか知っている人はいるだろうか。
北海道の東の地域を「道東」と呼ぶ。
北海道と聞けば誰しも、ちょうど今朝、千歳を襲った大地震のことをすぐに思い浮かべるだろう。震源の近くであった苫小牧厚真火力発電所がダウンしたため、北海道全域で電力供給が途絶え、停電となった。
今朝ぼくは、阿寒湖にいた。
阿寒湖は、まりもで有名な道東の湖である。
一昨日の晩が夜行バスであったため、昨晩泊まった阿寒湖の宿泊所では疲れ果ててぐっすり眠った。
阿寒湖に着いた黄昏時に、湖畔から見た阿寒湖があまりにも綺麗だったから、早朝の阿寒湖も見てみたいと思い、目覚ましを6時30分に設定した。その時刻よりも、いくらか早く目覚めたぼくは、阿寒湖に行く前に宿泊施設の温泉に入ることにした。
浴室には誰もいなかった。シャワーは蛇口をひねっても出ない。もしかすると入浴時間ではないのかもしれない。仕方なく浴槽のお湯で体を流す。幸いにも、温泉であるから浴槽のお湯は暖かい。
浴槽に浸かっていると、おじさんが浴室に入ってくる。いの一番にシャワーが出ないことを伝えようとしたが、声はかけない。おじさんがシャワーの口を捻ったところで、「シャワー出ないんですよ」と声をかける。「ありゃ、やっぱり停電か。」おじさんの言葉で、シャワーが出ない原因が停電だと知る。「やっぱり」という言葉が引っかかる。
停電でシャワーが出ないという状況で思い出すのは、カンボジアのシェムリアップを訪れた時のことだ。シェムリアップは電力供給が間に合っていないため、しょっちゅう停電になるらしく、ぼくが訪れた時も運悪く停電して、シャワーが使えなかった。
停電直後はお湯が出るが、しばらくすると水しか出なくなり、最終的にシャワーが出なくなる。
日本の地方都市(道東)は、アジアの途上国の都市(シェムリアップ)と同じ水準なのか、と心の中で驚く。
身体を洗い始めたおじさんが、しばらくの沈黙の後に喋り始める。
「嫁さんから、地震大丈夫だったかって連絡来るんだよ。今朝揺れたか?俺は全然気付かなかったよ。」
ああ、そういえば。
おじさんの言葉で思い出す。今朝地震があったことを。
夢だと思っていたあれは、夢じゃなかった。
なんなら結構揺れたと思う。
疲れてたぼくは、少し目を覚ましたけど、すぐに夢の世界へ戻った。夢の中も騒がしかったような気がした。
「札幌はすごいらしい。」
風呂を上がったぼくはスマホですぐにTwitterを開く。トレンドのほとんどを「北海道」の言葉が占める。たくさんの声から只事ではないことを知る。阿寒湖周辺の状況を確認する。千歳から離れた釧路の当たりでも震度4だ。非常に大きい地震だ。
今朝ぼくは、阿寒湖にいた。
この記事を書いているのは釧路から羽田へ向かう飛行機の中であるから、この記事が更新されている頃には自宅にいるだろう。
電気。
地球にいる何万種の動植物の中で唯一、人間だけが電気がないと生きていけない生物である。
そんなことを阿寒湖のまりもに、北海道の大自然に考えさせられた。
インド旅に続く、旅先でのトラブル。
今年のぼくの旅運、本当に笑えない。
おそらく神様は、ブログをそろそろ更新しろとぼくに言っている。
そんな小さな用にしては、あんな大きなことを起こしてくれる。
というわけで、長くなったが、今回の道東旅のろぐをここに残すこととする。
ブログろぐ5 〜星は消える〜
はっ……星消えた……
僕たちが見ている星のうちのいくつかは既に爆発してしまって存在していない。
地球から遥か遠くにあるがために、既に存在しない星たちのかつての光が僕たちの目に届いているというのだ。
はてなブログの星もまた同じかもしれない。
いや、そんなことはない。
この書き出しの文章を書くのに、改めて「星がなぜ光るのか」を調べてみた(膨大な量の資料調査をもとに国立天文台へヒアリングを行ったわけではもちろんなく、電車を待つホームでスマホで調べただけである)。
ぼくたちが夜空に見る多くの星は自ら光を発する恒星らしい。
ぼくは、すべて爆発した光、もう存在しない光を見ているのかと思っていた。
恒星は、核融合反応による爆発の光を発しているのだ。
この核融合反応は永遠に続くわけではない。
恒星の原料がなくなれば、核融合反応は終わる。
太陽だって例外ではない。太陽の寿命は100億年と言われている。
つまり、遠い将来夜空の星は消えるという。
1日の半分は暗闇に染まるのだ。
ここまで書いて初めて、はてなブログの星も夜空の星と変わらない運命を辿ることを指摘することができる。
最近は、前よりは多くの人にこのブログが届いているようで、星をつけてくれる人も増えてきた。
ありがとう。
しかし、より多くの人に届いて欲しいと欲が出るのが人間でありまして、既に公開している本ブログ記事のURLに関連ワードを並べて更新したのでありんす。
すると、なんということでしょう(ここで、劇的ビフォーアフターのBGMを挿入)。
星が消えてるではありませんか。
あれだけほしかった星。
ようやく集まった星が瞬く間に消えてしまったのだ。
欲張りはいけない、改めてインド旅の教訓に立ち帰らされた。
はてなブログの星は、一度公開した記事のURLを変えるとすべて消えてしまう。
儚きかな。
この仕様、ぜひブロガーの皆は心に留めておいてほしい。
ただ、ここで気付く。
星がつかない記事は、URLを変えたから星が消えてしまったと言い訳も可能だ。
この仕様は、ブロガーが光を失わずに長く輝き続けられる仕組みなのかもしれない。
映画ろぐ3 〜しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス〜
Pepole are stupid.
画家のモード・ルイスを描いた映画『しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス 』(原題: Maudie)。
モード・ルイスを演じたのは、『シェイプ・オブ・ウォーター』で主演を演じたSally Hawkins。まるで、本当にモードルイス本人ではないかと思わせる素晴らしい演技だった。
夫エドモンドを演じたのは、Ethan Green Hawke。こちらも役柄が良く、何よりもかっこよかった。
監督は、アシュリング・ウォルシュ (Aisling Walsh)。もちろん知らなかった。
全体として、舞台となったディグビー郡マーシャルタウンの風景が印象的だった。
↑地図で検索すると、アメリカ大陸の東の果てだった。
のんびりした雰囲気と、時間帯、季節によって豊かな表情を見せる風景、画家の生涯を描く映画として非常に重要な要素は上手く表現されていた。
エドモンドの無骨ながら、思いやりを秘めている姿もよかった。
全体として感動する映画だった。といって、感想を書こうと思うと難しい。
今一度振り返ってみると、印象に残っているのは、風景の美しさや言葉の美しさ、画の美しさだ。
風景は先に述べた通り。
言葉は、モード・ルイスの言葉と、エンディング曲の歌詞だ。
モードルイスは、「絵筆と窓があれば幸せ」と語っていた。
特に、窓について次のような美しい表現をしていた。
窓の外に広がる自然、その生命の輝きを一つのフレームに切り取って見せてくれる。
当たり前のようにある窓。
窓が好きな気持ちは同じだけど、ここまで美しい表現は初めてだ。
そして、最後のシーンは、エドモンドがドアを閉めて、部屋が暗くなり、窓と窓辺のモードが絵を描いていた机だけが浮かび上がる。とても美しいと思った。
エンディングの曲はyoutubeにあがっていた。
こちらも歌詞が美しい。
ブログ冒頭の”People are stupid.”は何度か映画の中で出てくるセリフで、ある時は人と違うことが悪いことのように、ある時には人と同じでいることがおかしいことのように、同じ言葉が違う意味を持って響いていた。
モードとエドモンドが発するからこそ、大事な言葉として響いた。
ということで、あまり内容に踏み込まずに感想を書いたけど、もちろん内容自体もよかった。