ゆるろぐ -Urbanisme Log-

ゆるろぐ -Urbanisme Log-

都市生活屋のブログ

3.11から10年が経って

10年前、高校2年生だった。


期末テストを来週に控えていたから、午前中で授業が終わった。

 

授業が終わって、友達と駅の近くのマックで昼ごはんを食べた。

 

3学期の期末テストは、受験勉強が本格化する前の最後のテストだった。この時が、あまり将来も考えずにおちゃらけていられる最後の時間になった。

 


「バイバイ」

 


いつものように駅で別れて、電車に乗る。

オレンジ色の電車に揺られて、家に帰る。

 



午後2時46分。

 


僕は、最寄り駅から自宅までの帰り道にいた。

 


ものすごい揺れが大地を襲った。

 


住宅街の塀が聞いたこともない音を立ててペラペラの紙みたいにゆらゆら揺れていた。

 


身の危険を感じても、その場でしゃがむことしかできなかった。

 


揺れが収まるとすぐに自宅に向かった。

 


家に帰ると、祖父がいて、家の中もすごい揺れたことを聞いた。

 


テレビをつけると、どのチャンネルも緊急生放送で地震のことを報じている。

 


どうやら東北が震源地のようだった。

 


すぐに仕事中の母親と電話で連絡がとれた。

電話が繋がったのは、今はなき、WILLCOMのピッチを使っていたから。

携帯電話の通信網はすぐにダメになった。

 


地震を伝えるテレビの放送にはすぐに飽きてしまって、自分の部屋に戻った。

そのあと少しして、気になってリビングのテレビに向かう。

 


田んぼや畑ばかりの茶色い大地が、どす黒い濁った流体に覆われていく映像が映し出されていた。

 


何が起きているか、一瞬理解できないその映像に釘付けになった。

 


とんでもないことが起きていると、この時に知った。

 


どす黒い流体はゆっくりと着実に大地を飲み込んでいく。

ゆっくり見えたのは、ヘリコプターからの視点だからで、地上から見たらもっとずっと速いんだろうけど、そんなことも想像できないくらいに、ゆっくりと画面を覆う不気味な流体を眺めるしかなかった。

 


自分にはどうしようもなかった。

 

 

 

-

 

 

 

その日だったか、翌日だったか覚えていない、すぐに学校から期末テストが中止になる連絡があった。

 


僕のやるべきことはなんだろう。

 

さっきまでの自分にはバイバイをして、受験勉強を始めようと思った。

 


この後、例年になく長くなった春休みを通して、数学の問題集をひたすら解いた。

 


-

 


10年という月日は、振り返るにはキリがいい。

 


キリがいいから、何がいいってことじゃないけど、これが10年という月日の長さか、と実感できる。

 


これほど体感的に10年間をすんなり捉えられた経験はこれまでの人生になかったように思う。

 


大人の時間感覚になってから初めての10年なんだと思う。

 


そして、不思議なご縁で、10年後の今日、僕は仕事の用事で、仙台からいわきまで車を運転している。

 


津波に飲みこれまれた空港や、白い煙を上げた原発を横目に見ながら、復興予算で完成した高速道路を走っている。

 


どうやら、10年前の自分からはだいぶ遠いところに来ているみたいだ。

 


10年後は37歳だ。

 


何をしているんだろう。楽しくやってるかな。もしかしたら、生きていないかもしれない。

 


あの日、地震津波で多くの人の命が失われた。

 

あの日、家のリビングでテレビの中に映し出されていた映像は、生きている今がとてつもなくありがたいことだと気付かせてくれる。

 

 

-

 

 


3.11の犠牲者のみなさまに哀悼の意を表します。

 

2021.3.11