ゆるろぐ -Urbanisme Log-

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都市生活屋のブログ

変わる時って一瞬。

 昨日と同じスーパーには二度と戻らないという現実がなんだか悲しかった

 

3月も残すところ10日間。

今日もまた街中には、晴れ着姿の若者を多く見かけた。大学の卒業式だろう。

僕はといえば、業界的に3月締めの仕事が多く、いわゆる"繁忙期"というやつのど真ん中にいた。

ここで重要なのは、「いる」ではなくて「いた」としていることだ。

会社に入って初めての繁忙期は、そこそこに忙しくて、自分の仕事の終わりを見据えることができずに、ただただ上司の様子を伺いながら一緒に働いていた。「絶対無理、どうやってこの複数の案件を終わらせるのだろう」なんて疑問に思うくらいには、どうしようもなかったけど、終わってみればちゃんと終わる。それは、いままでの人生と同じで、これからの人生もきっとそう。振り返ってみれば、全部ちゃんと終わるのだ。

すべてが終わったのは、つい昨日で、その最後の仕事を片付けた瞬間に手元の仕事は無くなっていた。がむしゃらにやっていたからか、まさか3月中に仕事がなくなるなんて思ってもいなかったので、それに気づいた僕は素っ頓狂な顔をしていたに違いない。

仕事がない分、幾分早く帰れて、その反動で映画まで見にいく始末。フレディ・マーキュリーは最高だった。

 

今日もまたほとんど仕事がなく、メールの読み込みボタンをひたすらにクリックし続けるくらいしかやることはなかった。

 

こうして定時とともに会社をあがって、晩御飯の買い物のためいつものスーパーに寄る。食材をカゴに入れてレジに向かうと、いつものレジコーナーと同じようで何かが違う違和感を覚える。そこには、電話ボックスほどの大きさの白い機械が複数台置いてある。天井から吊るされているセルフレジというサインが目に入る。セルフレジ自体は、ここ数年都内のスーパーで見かけることもあって、そこまで大きな驚きはない。ただ、これが1日で設置されたことに背筋を少しだけ冷たくするような驚きがあった。

このスーパーは、白い機械がない頃のスーパーには、昨日と同じスーパーには二度と戻らないという現実がなんだか悲しかった。

 

都内では数年前から電車のホームに、落下防止用の安全策が結構な勢いで整備されてきている。この工事に携わっている先輩の話では、安全策の設置は一夜にして行うらしい(地下鉄は電車が走っていない時間帯しか工事ができないから、終電から始電までの間の夜中に工事が行われる)。その日の夜のホームには、ホームを埋め尽くすほどの数の作業員が入り、一気に設置するという。

 

僕たちは過去を振り返る時に、世界が新しい局面に変化していくスピードは、じっくりもしくはじわじわと、ゆっくり変化すると認識しがちだ。それは、過去を振り返るときに、自分の一生では到底経験することができないほどの大きな時間の流れを、「今」という視点場から俯瞰するからだ。というよりも、そうすることしかできない。「人類は狩猟採集民族から時間をかけて農耕民族へ変化した」とか、「戦争は経済状況や時代の趨勢からじわじわと市民生活に忍び込み、始まっていく」と。ただ、その歴史の中の微小な一断面の一個人の視点に立てば、変わる時はあっけないほどの一瞬なのかもしれない。

 

もう戻れないところまできて、変わったことを認識するなんてことは決してなくて、変わったことは認識していて、あるところまで来てそれが劇的な変化をもたらしたことや、判断そのものの正否を思い知るのだろう。

 

誰かが決断して、誰かが実行して、ものごとは始まる。

 

昨日なかったセルフレジのように、昨日なかった安全策のように、今日なかったものが明日はあるかもしれない。

 

変化の早い時代だからこそ、目の前で起きることをネガティブに捉え過ぎることなく、ポジティブに捉え過ぎることなく、自分の頭で考えて行動していくことはより一層重要になっていると思う。

今に生きることの大切さとはそういうことなのかもしれない。

 

※写真は本文の内容と関係ありません。