ゆるろぐ -Urbanisme Log-

建築、都市を学び、生業とするわたしのことだま。

記ろぐ9 〜道徳、コンプラ、法律を巡る事件〜

非常に21世紀的だなと思うのだ。 

 

本日、出張で新幹線に乗って移動中に起こった出来事をぜひとも共有したい。

この出来事は、何が正解かを考えさせられるとても奥深い題材だと思う。

今思い返しても、あまり整理がつかない。

 

今日乗った新幹線は、ほとんど席が埋まっている状態だった。

僕の席は、3席並びの通路側だった。

東京駅で乗った時点では、隣の2席は空いていた。窓側が空いているならそっちのほうが良かった、なんて思ったもののおとなしく仕事の資料を読み漁る。

もちろんその2席が空いているのには訳があって、次の次の駅で親子3人がやってきた。

子供はまだ小さい(3−4歳だろうか)ので、母親に抱っこされていた。

 

子供はまだ幼いので、やはり声が大きく正直うるさかった。

それでも、別に子供がうるさいのは普通だから、むかむかすることもなく資料を読み続けていた。

 

僕は昔から日本語を耳で聞きながら、それとは違う文章を読むことはできない人間である。耳から入ってくる情報に脳が反応してしまうのだ。勉強中は日本語の歌詞の音楽を聞くこともできない(英語なら何言ってるかわからないので大丈夫)。

 

ということで、親子の会話に脳が取られてしまって資料の読み込みに集中できなかった。

なので、イヤホンをして久石譲の音楽を流して資料を読むことにした。

 

その後無事に資料を読み終わったので、目的地に着くまで好きなことをすることにした。

この暇な時間を想定して持ってきていた新しいノートをカバンから取り出す。

ロイトトゥルムのノートだ。

 


ロイヒトトゥルム ノート A5 方眼 ブラック 315928

 

社会人になってから、学生時代に使っていたノートを完全に仕事用としてしまっていたため、私用のノートをしばらく持っていなかった。

そんな時に、”バレットジャーナル”なるものを知り、ちょっといいノートをつい最近買ったのだった。

バレットジャーナルを知りたい方はこちら。

bujo-seikatsu.com

そして、新幹線の中で、ロイトトゥルムのノートを初めて開けることになった。

 

目的地到着まで、1時間ほどある。まあ、暇だ。

記念すべきバレットジャーナルの最初のページに、”はじめに”を書くことにした。この瞬間の空気や思いをここに書いておこうと思ったのだ。後で読み返した時も面白いだろうと。

 

ページの左上今日の日付を書き、文章を書き始める。

書く内容は、なぜこのノートを買ったか、という文章。

正直意味わからないよね、こんなことをノートに書く人間の気持ち。

ただ、高級ノートにテンションが上がっていたし、文章を手書きで書くということを久々にしてみたいと思ったし、何より暇だった。

 

このブログで書いているように、手が滑るがままに文字を書き連ねた。

そうすると、つい余計なことまで書き始める。

「本日は◯◯への出張日。新幹線の車内である。隣には親子3人が座っている。さて、はじめに、このノート使う経緯を記そうと思う。 ……」

そんな書き出しで、たらたらと文章を書いた。

完全なる駄文であるが、やはり文章を書くことは気持ちの良いことである。

 

その頃、隣の子供は、目的地になかなかつかないことにイライラしてきており、声も大きくなっていた。

僕の隣には、お父さん、お母さんの順で座っており、子供は二人の膝の上で寝っ転がっていた。

僕の方に向いた子供の足がちょっと当たったりもしたが、特に気にせずに筆を進める。

書き始めて5分くらい経った時だった。強烈な視線を感じた。

横目で隣を見ると、暴れる子供を手で押さえながら、お父さんの目線は僕のノートに向いていた。

なんかすごい嫌な感じだ。

人がノートに書いている文章を見てくるとは…。覗かないでほしい。

僕が横を見たからか、お父さんは視線を外した。

書いている文章も、正直意味わからない(ノートにはじめにを書く奴は稀だ)もので、文章にまとまりもなくとっちらかっていたから、見られたくなかった。

スマホをすでに書いた部分の上に置いて隠すことで、とりあえずの対処として、また文章の続きを書き始めた。

 

一通り、文章を書き、締めのパートに入っていた。

本当にとっちらかった文章なので、将来これを読む自分に対して言い訳を書こうと思い、こんな文章で締めた。

「さて、長時間移動に耐えきれなくなって、暴れている子供を横目に書いた文章であることを忘れないでほしい。良い文章が書けるかは、環境要因が大きいことを信じて筆を置く。」

 

まるで、文豪気取りな感じだが、うまく締まった。

 

すると、そのタイミングで隣のお父さんが立ち上がる。

子供がトイレに行くので、連れて行く感じだった。

そして、僕の前を通る時に、突然こう言われた。

「私たちの個人が特定されるようなことは書かないでください。」

口調は、怒っていた。

話しかけられたことにびっくりした僕はとっさに「いや、かいてないですよ。」と答えるので精一杯だった。

 

父と子がトイレに行き、残されたのは僕とお母さん。

普通に気まずい。

あなたたち親子のことなんて、書いたけど、全体の文章においては、ほとんど飾りのような存在だよ、と伝えたかった。

なんなら、疑われたらこの文章を見せればいいと思った。

というかもう見せようか。

いや、中身がキモすぎて恥ずかしい。

見せろと言われるまでは見せないことにした。

それでも、しばらく膝の上でノートを開けっ放しにしといた。だって、何も悪いことしてないから。

 

その後、お父さんと子供は席に戻ることはなく、お母さんは出る準備をして、まもなく着いた駅で降りた。

 

 

と、ここまで読んで、このケースにおいて何が問題だったのかを振り返ると、いくつか疑問点が湧いてこないだろうか?

ぼくは湧いた。疑問が。

 

疑問① 人のノートを覗くという行為は許されるのか。

疑問② 僕が書いた親子に関する文章(上記参照)はいけないことだったのか。

疑問③ 個人が特定されることを、私的なノートに書くことはいけないことなのか。

 

先に断っておくと、正直僕は自分が悪かった部分がおおいにあると思っている。隣に座るスーツ姿の男性が、黒い高級ノートに文章を書き殴っていて、その中身に「3人の親子」なんて文字を見たら、こいつは子供のマナーの悪さを書いているに違いないと類推し、趣味の悪いやつだと警戒するのは当然だと思う。

 

そのうえで、お父さんの「私たちの個人が特定されるようなことは書かないでください。」という言葉がものすごく引っかかったから、あえてここに共有したいと思って書いている。

つまり、特に疑問③が引っかかっている。

 

この文章を公開する場合に関しては、個人を特定することを書いてはいけない。

それは当然だと思う。プライバシーの問題だから。

僕がスマートフォンSNSやメモ機能のページを開いていたなら、こう言われるのも分かるが、ノートに手書きで書いていたのにこう言われたという状況が、非常に21世紀的だなと思うのだ。

インターネットが普及して以来、これまで散々ネット掲示板SNSの不祥事があった世の中だからこそ、ノートに書くというアナログの行為に対しても同様の想像力を働かせることがしごく当然の世界になっているのだ。

40年前は、こんな一言がお父さんから飛び出すことはなかったのではないか。

 

また、一方で、ぼくがもし、親子3人のことを刻銘に記述していたとして、それはいけないことなのだろうか。

そこに表現の自由がないのだろうか。

例えば小説は、著者のこうした日常の経験が活きている部分が多いのではないだろうか。

もちろん、これは記述の対象となっている方からしたら気持ち悪い行為だろうが。

 

ここらへん、法律的にどうなんだろう。

 

そもそも道徳の問題なのか。

 

なんだか、考える論点がたくさんある面白い体験だった。

 

最後に、これだけ言わせてください。

 

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不快な思いをされたのなら、ごめんなさい。

でもあなたたちのことは、全然書いてませんので安心してください。

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文章を書くって、楽しいんだー。