あれだけの暴力的なシーンがなかったかのようなきれいな終わり方だった
今まであまり映画に興味を持つことはなかった。
もちろんゼロだったわけじゃなく、映画を見ること自体は好きである。
見たい映画がある時に、映画館に足を運ぶ程度で、その見たい映画も年に3本程度。
大抵世間で大流行りしている映画ばっかり。
テレビも映画もそうだけど、つまらないところを飛ばせないというのが辛い。
だから、録画した番組を見たり、YouTubeを見ている時の方が気楽に見れる。
早回しとかスキップとか飛ばせして見れないのは、時間がもったいないくらいに思っている。
と映画批判をしているが、ここ最近、社会人になってから、週1本の映画を見るようになった。
ミニシアターに通っているのだ。
別に、そんなこと書かなくていいけど、今日見た映画は個人的に衝撃的だったので、ついブログを更新している。
感想を書くことで、映画観も鍛えられるのではないか。
これが最初で最後になる可能性もある……。
今日見た映画は、タイトルにあるとおりで、『スリー・ビルボード』。
英語タイトルは、”Three Billboards Outside Ebbing, Missouri”
監督は、Martin McDonagh。
調べると、この人はイギリスとアイルランドの両国籍を持っているらしい。ほかの代表作も書いてあるが、もちろんぼくが知らない作品ばかりだった。
映画自体は、非常に暴力的なシーンが多く、見ていて常にハラハラさせられた。次何が起こるのか、先を見たいようで見たくない、そんな気持ちにさせる。さらに、話の展開は急カーブが多くて、ほとんど観客は置いていかれる。
映画の最初は、単調だけど、中盤あたりからは急展開が多くなり、暴力的なシーンも多くなる。出てくる登場人物が順番に殴られて、血まみれになる。雑に言うとそんな感じだ。そんなストーリーを長らく見ているとあることに気づく。実はこの行き過ぎた暴力は、回り回って自分に返ってきているということに。それは、いつも暴力的な登場人物が、殴った相手に親切にされたことで、ほかの人に親切にしようとするという優しさのスパイラルに変化していく。自分がふるった暴力が 暴力として、返ってくるならば、人に優しくすることで優しさが返ってくる。何かを得たいなら、何かを与える側にならなくてはいけない。そういうことを学んでいったのか、暴力的でいることに疲れたのか、最後のシーンは、終わり方はとても澄み切っていて、あれだけの暴力的なシーンがなかったかのようなきれいな終わり方だった。
「悪の大王でいるより、正義のヒーローでいる方が簡単だ。」
20世紀少年のケンジのセリフが、このブログを書いていて頭をよぎる。
この映画は、今まで見たことない構成の映画で、個人的には衝撃的だった。
映画館を出た後も、消化できないこの映画のことをゆっくり考えてしまうくらいに。