ゆるろぐ -Urbanisme Log-

建築、都市を学び、生業とするわたしのことだま。

ゆるろぐ1 〜首都高という名のゴジラ〜

ぼくのスマホは、首都高の写真で埋め尽くされる

 

 

ぼくたちが生活する都市について、何かものを言いたくなった。

ブログの名前を体現するような立派な論考ではなく、自分の書きたいように都市を語ろうと思う。

 

 

 

 

東京の中心は空洞"Void"であるとよく言われる。

 

海外から見れば、世界的にも有数の巨大な都市TOKYOにおいて、中心が空洞であるというのは非常に奇妙なのだ。

 

 

それでも、ぼくたちはその中心の空洞を何も意識せずに暮らしている。

すべてのインフラストラクチャーが、空洞を避けて、周囲に巡らされているから、ぼくたちは自然と中心を避けながら行動することになる。

 

すべてのインフラストラクチャーと書いたが、一つだけ例外が存在する。

皇居において例外が存在するということを知ると、例外が存在しない対象は、そうそうないと諦めがつく。

 

その例外は首都高速だ。

 

清水門南、パレスサイドヒルの脇から、ものすごく大きく伸びるコンクリートのかたまりが、ゴジラ第2形態が血を落としながら蹂躙したみたいに、コンクリートの柱を地上に落としながら"Void"に入り込んでいく。

 

1964年の東京オリンピックに間に合わせることを最優先に建設された首都高は、まさに東京の歴史を蹂躙するゴジラのようだったのだろう。

 

自分のスピード(すなわち、躯体が建設されるスピード)に、自分の意思判断(線形計画)が追いつかず、倒れこむように柱を落として進んでいったその先に、突如現れた"Void"を見つけて、飛び込んでいったのではなかろうか。

ただ、そこはただの空洞ではなく、東京が遥か昔から培ってきた特有の都市構造の要であったのだ。

 

こうして、非常に奇妙な風景がぼくの眼前に今現れている。

 

この首都高というやつとは、東京を歩いているとやたらと顔をあわせる。

 

そいつは大抵、じめじめと湿った、鼻に付く臭いを溜め込む薄暗い川の上で遭遇する。

 

このコンクリートのかたまりは、場所によって実に多様な表情を持っているように感じる。

 

首都高自体のかたちからくるのか、川にかかる橋のかたちからくるのか、はたまた、周辺のビルの様子が影響しているのか。

 

その表情の多様さの真意を説明することはまだできない。

 

こうしていつの間にか、ぼくのスマホは、首都高の写真で埋め尽くされている。

 

東京の歴史を、景観を破壊するこの土木構造物をぼくは好きにはなれない。

 

それでも、建設から半世紀以上経って、自らの生まれてきた意味を振り返って反省しているような、薄暗い場所で寂しい顔を向ける首都高を、ぼくは心のどこかで気になっているのかもしれない。

 

相変わらずぼくの写真フォルダで増殖する首都高だが、先日、首都高を地下化する計画が新聞で発表された。

 

今更と、ため息がでるような計画だ。

 

景観を良くするために、と多額の資金をつぎ込んで首都高は地下に埋められる。

 

もちろん景観が良くなることは分かるし、日本橋に空が取り戻されるならぼくも見てみたい。

 

それでも、半世紀以上の年月が流れたことを無かったことにはできない。

 

 「そこに存在した」という事実に、もう少し向き合う必要があるんじゃないかと。

 

悪者の首都高を失くして、良い東京を取り戻すということでは、あまりにも短絡的すぎる。

 

かつての日本橋の上には空があったかもしれないが、この半世紀、首都高が形作ってきた東京の景観こそ、東京なのかもしれない。

 

 そこにどのような価値が見つけられるのか。

 

もはや老いインフラストラクチャーである首都高の価値を考えることで、それが絡まる東京の価値、唯一無二の都市の将来の姿を描いていくことができたらと思うのである。