僕は、まぎれもなく、今、インドにいる。
シャワーを浴びて、少し休憩した後、外へ出ようと思った。
というのも、ゲストハウスのオーナーさんに、「せっかく来たなら夜のプージャを少し観に行けるといいね」と声をかけてもらったからだ。
その時、プージャが何なのかは全く知らなかった。
バラナシに到着する前から、腹が壊れ、バラナシの観光を考える暇なんてなかった。
なんかお祈りらしいということをなんとなく理解したが、体調も少しよくなったので、何より、観光しないともったいないので、外に出ることにした。
ゲストハウスを出たのは、19時前くらいだったかと思う。
オーナーさんには、もうプージャは終わりの方かもしれないけど、まだ間に合う、と言われ、ガートまでの行き方も丁寧に教えてくれた。
プージャが行われているのは、ダシャーシュワメード・ガートだ。
ゲストハウスからは歩いて2分でダシャーシュワメード・ガートに着く。
ルドラゲストハウスは最高の立地だ。
↑ダシャーシュワメード・ガートへ降りていく階段
ダシャーシュワメード・ガートに近づくと、音楽が聞こえてくる。
そして、昼間よりも少ないが、大勢の人が階段に座っていて、奥にオレンジ色の服を着た僧侶が舞っているのが見えた。
音楽は大音量で、その音に合わせて僧侶が踊る。
観客は、それを黙って見つめる。
↑いろんなところから眺める人。
↑階段は劇場の観客席に。
↑よーく見ると、川から船に乗って見る人が大勢いる。
↑観光客は、大きなカメラを構えて観客の表情を撮影する。
とても異様な雰囲気だった。
夜だから、昼よりは少し気温は下がっていたが、空気感だけは高揚していた。
僕は、カメラを構えて何枚もシャッターを切る。
時に歩き回りながら、時にインド人に混じって階段に腰をかけて。
階段に腰をかけると、カメラの電源を切った。
なぜか、涙がこぼれた。
突然のことに焦ったけど、周りはインド人だから、恥ずかしがる必要もない。
だけど、やっぱりこらえる。
これまでに自分の身に起きたこと、インドという国が僕にしたこと。
そして、今目の前にある風景は、インドで長い年月をかけて育まれた文化であり、インドで生まれた人はまん丸の眼でそれを見つめる。
途方もない年月と、継承されてきた文化、重畳する歴史。
これは毎晩行われるいつものお祈りに過ぎない。
それでも、日本人の僕は今日この祈りを見ている。
お腹の強さはインド人とは全く違うし、インド人になることなんてできない。
プージャを見て、インドの文化を見て、やっぱりインドは日本とは違う場所で、違う歴史を辿ってきたことを知る。
人類の長い年月のうえに、僕は生きている。
ただ、それだけは分かる。
涙がこぼれた。
心が動いたのを感じることができるくらいには、その場の空気に酔っていたのかもしれない。
途方もなく遠いところに来ている気がした。
僕はひとりぼっちなんだ。
↑川へ入る雁木から眺める人。
20分ほどでプージャは終わった。
↑僧侶たちが、ガートを降り、船へ乗り込む。
↑沖へ去っていく。
↑ガンガーへ降りる雁木には、部分部分に石材の台座が埋め込まれている。高級感のある素材、何に使われるものかはいまいち分からないが、文字が刻まれている。
↑そんな台座の上に酔っ払って倒れこむ欧米人。インドで酔っ払って倒れる勇気に乾杯したい。
↑祈りが終わると、先ほどまで僧侶が舞っていた台座の近くに人が集まっていた。何かを撮影している。
↑お金をおく人。
↑花火も打ち上がる。
↑実は、花火は先ほど川へ漕ぎ出した僧侶の船から上げられている。
↑祈りの後には、マイクに向かって歌い出す僧侶。
みんなでバンザイしながら「イェイ」と叫ぶ観客参加型のパフォーマンスになった。
宗教的祈りが急にライブみたいになって面白かった。周りの人と一緒になってバンザイしながらイェイと叫んだ。
インドは不思議な国だ。
↑プージャは終了。
少し周りを歩いてみることにした。
↑聖なる動物の牛さん
↑舞いをする僧侶が手に持つもの。
プージャ終了後も、燃え続けていた。
↑僧侶が舞っていた台を片付ける人。
ちゃんと掃除するんだなー。
プージャを見終えてゲストハウスへ戻った。
ずいぶん心が洗われた気がした。
でもやっぱり気分は優れない。
渡航書発行に必要な手続きをまたスマホで調べながら、青年は眠りについた。