ゆるろぐ -Urbanisme Log-

建築、都市を学び、生業とするわたしのことだま。

記ろぐ8 〜ブログ書くのってめんどくさい〜

さて、そろそろ限界である。

 

こんばんは。

 

ブログ書くのってめんどくさいってことを、とうとうブログに書いている。

心に留めておく段階を超えて、ブログを書くというめんどくささを超えて、今パソコンのキーボードを叩いている。

 

暇なのだろうか。

いや、決して暇ではない。

暇ではないからこそ、ブログ書くのってめんどくさい、という思考に至るのである。

暇だったら、ブログくらい書くかー、と言っているに違いない。

 

かといって、忙しいわけじゃない。

こうやって、書き出してしまえば、もう213文字も書いているのだから。213は、2を打つ直前までの文字数であるから、今この時点では、260文字になっている。

 

そうやって、読み手を混乱させるような文章を書いてしまっている自分がいる。だらっと手を伸ばして、macbookのキーボードに並ぶ白い文字が書かれた黒いプラスチックを叩いている。

 

きっと、パソコンのない時代においては、書くことはもっとめんどくさいことだったに違いない。それは、小学生時代を思い返せば、みんなが納得する。原稿用紙を埋める作文は、途方もない作業だった。

 

もっとずっと前のことを考えると、書き言葉は位の高い人しか扱うことができなかったという歴史がある。教育を受けることができる者のみが文字を書くことができる。書くという行為ができることに感謝しないといけないのかもしれない。

 

昔の人の文字といえば、綺麗で美しく流れるような黒い線が濁った色の和紙に書かれているのを思い浮かべることができる。それでも、江戸時代の文献を見ると、もはや解読することができないくらい、適当な線の集まりにしか見えないものもある。書くという行為は、やはり昔からめんどくさいものだったんだと思うし、それを見て共感できるのはその点だけだ。

 

卒業論文の調査では、江戸時代の文献を読める地元の図書館の司書さんに大変お世話になったことを思い出す。人が書く文字である限り、人が解読できるのだと思い知った。

 

さて、そろそろ限界である。

 

このブログも振り返ってみると、途中で書くのをやめてしまったシリーズというのがちょこちょこある。”道東ろぐ”シリーズもあれから2ヶ月たった今、書き終えられていない。

 

そうやって、時間は残酷にすぎ、全てを洗い流してくれると、どこかの子供が言っていた気がする。

 

だから、めんどくさいといって、受け身で日々を過ごすのはやめて、どんな作業にも自分の見方次第で様々な意味付けができるのだから、積極的に生きたいものである。

 

何かをするのに、理由なんていらないよ。

理由を聞いてくるのは、暇なやつだけだから。

当の本人は、もうやっているのだから、止まることなく走ればいい。

理由を聞いてくるやつは、行動できない自分が不安だから、理由を聞くことで相手を不安にさせたいだけだ。

 

と、誰に向けたメッセージかよく分からない文章を書いてしまったけど、こうしている間に、1000文字を超える駄文が出来上がってしまった。

 

今日は日曜日なので、明日に備えてもう寝ましょう。

 

次回から、ちゃんと書く。