今年ファインダー越しに見たもの/2023を振り返る
今年は本当にいつの間にか年の瀬になっていたという感覚。
年末なので、今年を振り返る。
記事作成に着手したのが12/29の深夜というありさま。でも、この企画だけは、粘り強くやりぬくんだ…(そうでなければ、このブログは金輪際更新されないものとなろう)。
さて、2023年、この年の持つ意味は僕にとって非常に大きい。というのも、30歳になる節目の年であったからだ。10月生まれということもあり、2023年はほぼほぼ「20代最後の年」といえる。
20代の人間からすると、30歳というのは大きな大きな到達点に思えてつい身構えるものだ。「20代のうちに〜」という呪いに例も違わず罹りながら、せかせかしていたけれど、なってしまえばあっけなく、なにか変わるわけでもなくシームレスに30代に移行するのみ。
2023年は、旧態依然の権力が解体された年であり、今年の漢字が「税」となった年であり、円安と物価上昇が激しい年であった。何よりも大きな変化としては、マスクがなくなったことだろう。
と、誰でも言えそうなことをつらつら書きながら、実を言うと、今年を振り返る一貫したテーマを模索しているが、あまりいいのが思い浮かばない。考えている時間もない。だから、このテーマにしたいと思う。
「ファインダー越しに見たもの」
2020年の振り返りの記事にも登場したミラーレス一眼カメラ「fujifilm XT-4」。
あのときいいカメラを買ったことは、素晴らしい選択だったと思っている。基本的には旅先で使うことが多いこのカメラ。今年はコロナ禍が正式に終了したこともあり、カメラを使う機会も多かった。そんなわけで、今年ファインダー越しに見た世界を振り返ることにしたい。
テーマが弱いなんて言わないで。
目次
- 2月/3年半ぶりの海外旅行、パリへ行く
- 3月/花見風呂付き物件であることが発覚
- 4月/馬のいる暮らし
- 5月/熱帯と亜熱帯のバックパック
- 7月/今年の登り初め 立山
- 8月/本物のアルプスのあるところ、スイスへ
- 9月/日本でも山へ登る
- 10月/自分のルーツをまた一つ知る
- 12月/名建築に宿泊を
- まとめ
2月/3年半ぶりの海外旅行、パリへ行く
今年はコロナ禍になり全く行けなくなった海外旅行が解禁した年だ。最後に行った海外旅行は2019年9月のオランダ旅行。そう、つまり3年半ぶりに出国することになる。
記念すべき目的地はフランス、パリ。4日間という超弾丸旅行ではあったが、海外旅行っていいなと再確認する旅となった。
肝心の内容としては、パリの主要スポットを駆け抜けるのだけで精一杯であった。念願のサボア邸を体感できたことはとてもよかった。
3月/花見風呂付き物件であることが発覚
旅先以外でファインダーを覗くことはめったにない。3月は、そのめったにない瞬間が訪れた。今の部屋に住んでから初めて訪れる春。お風呂場の窓からの景色が桜でいっぱいになることを初めて知った。花見風呂付き物件だったか〜。やられたよ。不動産情報にアピールしてもよいでしょう。
4月/馬のいる暮らし
前の前の会社の元上司と再会して、ひょんなことから上司の通う乗馬クラブへ連れてってもらうことになった。大学一年生のときに馬術部に見学行って以来の馬との触れ合い。めちゃめちゃ馬がいる環境がこんな身近にあるとはと驚く。馬と触れ合うことでリラックス効果もあるらしい。馬のいる暮らしはいいな〜。と無邪気に思ったが、かかる費用はとてもとても払えない。これぞ本当の“オトナの趣味“である。それを差し引いても、とてもいい趣味だな〜と思ったのでした。
5月/熱帯と亜熱帯のバックパック
熱帯の東南アジアと亜熱帯の沖縄を訪れた楽しい5月。
東南アジアは、友人とバックパックひとつでタイ→マレーシア→シンガポールと縦断する旅。社会人6年目ともなるとある程度のお金が溜まってきて生活も旅のスタイルも学生の頃とは変わってくる。金で解決できることが増えてくると、面倒なことはしなくてよくなる。そんななか、あえてお金を使わない旅を、20代のうちに改めてバックパッカーに。ただの貧乏旅行ではなく、現地での移動は長距離バスから飛行機、ドミトリーから五つ星ホテルまで幅広い体験を組み込んだ。
東南アジアは7年ぶりに訪れる。日本との差はかなり縮まってるように感じた。理由は、きっと円安の影響が大きいけど、それだけじゃなく、バンコクの都市の発展状況に驚かされた。
そして一番感動したのはライドシェアアプリ「Grab 」。
トゥクトゥクもタクシーもいちいち金額交渉をしなければならなかった東南アジアのモビリティ社会で、ライドシェアはゲームチェンジャーすぎる。ユーザーによる評価社会では、客に悪態をつくなんてもはや許されない。料金も乗る前に決まってしまうし、なんなら民間人の方の車はトゥクトゥクより快適で時間に正確で、もう素晴らしいのだ。
東南アジアに行く際は、ぜひ事前にアプリを入れていこう!
7月/今年の登り初め 立山
今年は技術士なる資格試験を受けたので、7月半までは試験勉強に勤しんでいた。試験から解放された翌週に今年の登り始めとして立山連峰へ。快晴と雲海の素晴らしい山行であった。
新調したオクタ素材のアクティブインサレーション「ランウィズオクタ」は最高で、今年のベストバイです。
8月/本物のアルプスのあるところ、スイスへ
大学の友人4人でスイスを周遊。またしてもバックパッカー。
ここでは円安の極みを実感して、泣きそうなくらい大金を使ったけれど、お金を経験に変えてくことの尊さと大切さを教えてくれた最高の旅だった。10日間でかかった費用は60万円。不思議なことに、旅が終わっての感想としては思ったよりもかからなかったな。いや、あの体験でこの値段は安すぎる。
20代最後の海外旅行納めには最高であった。
9月/日本でも山へ登る
大菩薩嶺はガスで景色は全く見えず。がっかりしていたら、山頂で鹿と会えた。
五竜岳は最高の天気に恵まれた。
10月/自分のルーツをまた一つ知る
30歳になった月。
父方の祖母の米寿祝いで京都に行き、母方の祖母の兄弟に会いに奈良に行った。
30歳になると同時に、両祖母の歴史を知る機会にもなり、自分のルーツへの理解を深める月となった。
12月/名建築に宿泊を
11月〜12月で資格試験や仕事に追われた最後のご褒美に、箱根の名建築に宿泊。
村野藤吾設計のザ・プリンス箱根芦ノ湖。芦ノ湖のほとりで、最高の宿泊体験。ホテルの部屋から見える景色が素敵だった。
まとめ
ということで、今年もなかなか動き回ったいい1年であった。
30代からの人生はどんどん加速していきそうで怖いけれど、一日一日を大切に生きていきたい。
P.S.
ここ2ヶ月くらいで、本ブログの広告収入が急に入ってきた。
毎度ながら年末しか記事を書いていないけれど、読んでくれている人がいるんだなと実感。ありがとうございます。
来年こそは、2本以上書けるといいな。
今年出くわしたもの/2022を振り返る
どうも。
ご無沙汰してます。
2022年も気づけば、あと数日…。
この季節、毎度思う。
「一年は短い」、と(もはや、野暮)。
今年も日々の生活の中で、記事を書きたいと思うことは多々あったものの、ブログ編集画面に行き着くことはなく、とうとうここに辿り着いたときには年末というありさま。
ここ2年ほど、年末にその年を振り返る記事を書いてきた。誰のために書いているわけでもなく、振り返りたい欲に任せて書いてきたけど、今読み返すとなかなか読み応えもあって、悪くない。
2020年は、買ってよかったもの。
2021年は、失ってしまったもの。
2022年といえば、サッカーW杯の盛り上がりが印象に残る。あの熱さはやっぱり異次元で、四年に一度しかやってこないからこそあそこまで盛り上がるのかもしれない。
今年の自分を振り返ってみると、◯年に一度のイベントに出くわす体験が多かったように思う。
ということで、2022年の振り返りは「今年出くわしたもの」という切り口で書いてみよう。
いざ書かん!
目次
- 3月/【10年ぶり】思い出の建築との再会
- 4月/【1月に一度】西荻窪に現れた呑兵衛天国
- 5月/【7年に一度】長野善光寺、真夜中の御開帳
- 5月/【30周年】ついに「生」Mr.Childrenを浴びる
- 7月/【4年ぶり】シンガポールの友人との再会
- 11月/【4年に一度】サッカーW杯
- 11月/【48年に一度】飯田橋ギンレイホール閉館
- まとめ
3月/【10年ぶり】思い出の建築との再会
3月に大学時代の友人と5人で房総半島にドライブで行く弾丸旅行をした。
当日の朝、レンタカーを予約しただけの状態で集合して行き先を決めるという、弾丸旅行と呼ばれる範疇の中でもかなりレベルの高い(?)方であった。
そんな旅行で訪れたのは、房総半島の中央に位置する大多喜町の町役場。
ただの古い役場にしか見えないのだけれども、この建築は大学の先輩にあたる今井兼次という建築家が設計した役場。
そして、建築学科1年生の時にひたすら建築をトレースする製図の授業で取り上げられた建築なのだ。
立面図や矩計図をひたすらトレースし続け身体に寸法感覚を叩き込んだ。ピロティのうねるような梁や、花壇と一体となる躯体、謎のオブジェと塔、はめ殺し窓(窓の種類について知識のない学生にとっては衝撃的な名前に感じたのも懐かしい)など、休みの日も製図室に通って書いた建築を10年ぶりに間近で見ることができた。
10年の月日が経ったけれど、身体は意外と覚えていて、ノスタルジーに浸るとともに、初心に帰る僕ら。
ちょうど転職して一から頑張ろうとする僕にとっては、とってもナイスなタイミングでの遭遇。
春の陽気とそよ風が心地よい季節だった。
4月/【1月に一度】西荻窪に現れた呑兵衛天国
徐々に新たな生活リズムが整ってきた春先、前々職の会社の同期と飲むことに。高円寺に住む彼と、お互いに踏み入れたことのなかった西荻窪で飲んでみることにした。
店を見つけようと適当に歩き始めて、我々は遭遇してしまったのだ。西荻の狭い路地に昼間から机を出して酒を飲む天国のような光景に。
毎月第三日曜日の昼間から夜にかけて、路地沿いのお店が協力して、路地に机を出して呑めるようにしたイベント。
料理やお酒はどのお店からも買っていい横丁スタイル。インド料理、韓国料理、沖縄料理にタイ料理などなど。アジアが詰まった横丁のステキなひと時。
結果的に、今年は4回ほど通った。会社の同期の輪を広げたり、大学の友人を呼んでみたり。
青空の下、日曜の昼、狭い路地で、ビール。
最高にロックな空間が東京にはまだまだ眠っているんだろうな〜。
5月/【7年に一度】長野善光寺、真夜中の御開帳
今年も人生の目標に掲げている百名山制覇に向けて、6座を登ることができた。
今年最初の百名山は、ゴールデンウィークに登った、霧ヶ峰と美ヶ原。登山というよりはハイキングなので、万人におすすめしたい。
さて、せっかく長野まで来たので、長野に住む大学時代の友人と会い、長野を案内してもらった。
知らなかったことをやや恥じるべきかもしれないが、今年はちょうど長野善光寺ご開帳の年だった。善光寺のご開帳は七年に一度行われる。実は昨年2021年がその年に当たるのだったが、コロナのせいで延期となり、2022年になったのだ。
回向柱(えこうばしら)という柱が本堂の前に立てられ、本堂の奥の阿弥陀如来の右手と回向柱は糸で結ばれる。つまり、回向柱を触ることは縁起が良いということとなる。
松本から始電で長野に向かったのに、善光寺に着く頃には、回向柱に長蛇の列が。友人曰く、長野中からやってくるし、日本中からやってくるらしい。
この混雑する様を見て、回向柱に触ることは早々に諦めた。
が、お昼に入ったお蕎麦屋さんで、店員さんからとある耳寄り情報が入った。
「夜中に行けば並ばずに触れるよ」
やや半信半疑ながら、そういうこともあるんだという程度で、午後も観光を続け、夜は飲みふかした。酔ったついでに、ふと回向柱寄ってみよう、という流れになって善光寺へ向かう。
参道は昼間と打って変わって真っ暗闇。本殿に近づくと、参道は赤い光に照らされて不気味に光っている。境内には、4.5人の人影。回向柱はそのままの姿で立ち尽くしていた。
そして、本当に回向柱に触ることができた。
ひんやりとした初夏の夜の散歩で、酔いが少し冷めてきて、見上げる回向柱の背景には満点の星が輝いていた。
5月/【30周年】ついに「生」Mr.Childrenを浴びる
母親の影響で、小学生の頃からミスチルを聞いて育った。
中学校の帰り道、ミスチル好きの友達と「フェイク」のシングルを買って、翌日にはb面の「君が好き」を教室で熱唱するくらいにはミスチルが好きだった。
2GBのiPod miniに入れる曲は目まぐるしく変わるけど、ミスチルだけは常に入っていた。音楽を聴く=ミスチルを聴くという生活がおよそ20年は続いていた。
2022年は、Mr.Childrenデビュー30周年の年。
東京ドームの記念ライブのチケットが手に入った。僕にとっては初めての生Mr.Childrenだった。
登場した瞬間に涙が溢れ、あっという間に夢のような3時間が終わってしまった。
ライブの中でも、特に桜井さんが強く想いを語っていた曲「any」は僕の胸に強く響いた。
今僕のいる場所が 探してたのと違っても
間違いじゃない いつも答えはひとつじゃない
何度も手を加えた 汚れた自画像に ほら
また12色の心で好きな背景を描き足してく
彼らの姿を、声を心に焼き付けて、生きるエンジンは満タンになった。
7月/【4年ぶり】シンガポールの友人との再会
学生時代、建築の設計コンペで知り合ったシンガポール人の友人が、日本の大学の博士課程に進学することとなり日本にやってきた。
彼らに東京の街を案内したり、逆にシンガポール料理のお店を紹介してもらったりと、定期的に会うようになった。
日本に住んでないからこその視点にハッとさせられたり、シンガポールと日本の住宅事情とか文化の違いとかを話すだけで色んな気づきがあって面白い。
会うたびに英語頑張ろうと思うけど、最近は彼らの日本語が上達して、日本語で話を聞いてくれるまでになってきてしまった笑
2023は英語の勉強しよう(毎度思う)。
11月/【4年に一度】サッカーW杯
皆さんの記憶にも新しいだろう、W杯。
僕といえば、日本代表戦は全て友達と集まって観た。夜な夜な友人宅に集まって、観戦して興奮して仮眠して寝不足で出社した日々は、青春の延長と言っても過言でない。「本当に何やってんだろう」と思いつつも「4年に一度だしな」という思いの方が強く、やっぱり集まってみると楽しさも倍増した。
今大会はabemaが無料配信をしていたおかげもあり、日本が敗退したベスト8以降もほぼ全試合を視聴できた初めての大会となった。
決勝戦は、もう素晴らしすぎた。最高の試合を本当にありがとうと伝えたい。
そして今大会の盛り上がりを支えたのは、本田圭佑の解説だったと思う。連日Twitterでバズっていた。
僕が大学生の頃にテレビで見た本田圭佑のプロフェッショナルが忘れられない。どんなに不利な状況に陥っても、常にポジティブに自分と戦う姿には強い刺激をもらった。改めて、本田圭佑の人間力を思い知るとともに、自分も頑張ろうという勇気をもらえた。
僕の好きな本田圭佑の言葉を書いておく。2023年は本田圭佑の言葉を燃料に走り出してみたい。
人って誰しもが、上手くいかなかったときとかに、ちょっと疑うと思うんですね。そのときに、いかに自分を信じることができるか。
11月/【48年に一度】飯田橋ギンレイホール閉館
W杯が盛り上がり始めた裏で、僕にとって悲しい出来事が起きた。
飯田橋ギンレイホールの閉館だ。建物の老朽化のため、立ち退きを余儀なくされ閉館となった。名目上は休館だが、再開に向けては具体的な時期は公表されていない。
社会人になって飯田橋で住み始めてからと、仙台に転勤した期間を経て東京に戻ってから通いつめたギンレイホール。
年間52本の映画。テーマに沿った2本立ての厳選された上映作品は、僕を見たことのない世界へ連れて行ってくれた。
そんなステキな映画館が僕の日常から無くなってしまうのは悲しいけれど、再開を信じて待ちたい。
まとめ
一度書き始めると意外にも手が止まらず、たくさん書いてしまったけれど、2022年も色んなことが起きていたことが分かったので、安心して2022年を終えようと思う。
さて、2023年はどんなことに出くわすのだろう。
自分を信じてコツコツ積み重ねていきたい。
それでは、みなさま良いお年を!
今年失ってしまったもの/2021を振り返る
Life is beautifull!!!!!
またしても1年が終わろうとしている。
時間とは『無情なほどに全てを洗い流してくれる』、という歌詞への共感度もまた、年々高まっている。
人生は終わりなき旅なのだ。
さて、
年末になると、実家の片隅で一年を振り返る人間を見かけることがあると思う。
僕も例に違わず、一年前に2020年を振り返る記事を書いていた。
買ってよかったものが相当数あって大変手間のかかる記事になってしまったのを懐かしく思い出す。
ベストバイ(BEST BUY)系の記事は、読んでいて面白く、結構参考にするので好きなのだが、近年は記事の供給過多が続いており、需給バランスが破綻しているようにも思う。
俗に言う”レッドオーシャン”と化している。
であるならば、少し毛色を変えて今年を振り返ることを考えたい。
そう、そして、今年の僕を端的に表現するには最適な、「失ってしまったもの」を軸に今年を振り返ろうと思い至ったのである。
僕の好きな言葉のひとつにこんな言葉がある。
「成功はアート、失敗はサイエンス」
要すると、成功体験に再現性はないが、失敗には再現性がある。だから、過去や他者の失敗から学ぶことは、これから生きていく人にとても役立つものになるのだ。
そう考えると、「今年手に入れてよかったもの」よりも「今年失ってしまったもの」から学ぶことが多いはずだろう…。
いつものごとく前置きが長くなり恐縮だが、本題に入っていこう。
”プロパー社員”という肩書き
プロパー(proper)社員とは、新卒で入社した生え抜きの社員のことを指す。
つまり、僕は人生初めての転職をしたのだ。
プロフィールに書いてあるとおり、都市計画の仕事をするそこそこの会社に約3年在籍していたのだが、業務への物足りなさや技術的な不安などが相まって、一度会社を出てみようという決断に至った。
在籍していた3年間は一度も会社に行くのが憂鬱だと思ったこともなく、お金も十分もらえて、業界にしては珍しくホワイトで、社会的なやりがいもまあまああって、一緒に働く人も良い人ばかりで、、、という環境ではあったものの、このまま安定して定年まで仕事をして死に向かっていくんだろうなというのが薄ぼんやり見えてくると、ちょっと退屈な気もしてしまったのだ。
要すると、若かったのだ。
技術的なことを身につけたいと思い、小さな建築設計事務所に転職するに至ったのだった。
”airpods”という相棒
転職に伴って、仙台から東京に帰ってきた。
東京生まれ東京育ちだけあって、やっぱり東京は友だちと会う機会も多くてよい。
友人との飲み、登山、オリンピック観戦などなどなかなかに良い夏だった。
そして、登山に行った際に、airpodsを紛失してしまった。
僕のairpodsといえば、本ブログ屈指の人気記事、奇跡の復活を果たしたことを以前紹介したやつだ。
紛失してしまえば、もう復活することもない。ジーザス!
登山で使用するわけでもないのに、持っていってしまったことを反省。
登山は、いろんな荷物を一つのかばんに詰め込むので、小さな荷物に意識が行き届かなくて、紛失してしまった。
大切なものは登山には持っていかないことが重要かもしれない。
一方で、新しく始まった仕事の方は……
一日目でなんだか妙な異変を察することとなった....
”職”
急展開に読者の方はついてこれているだろうか。
失ったものは、まぎれもない、「職」である。
”プロパー社員”という肩書きを失った人間が、同じ年に職を失うとは一体どういうことなのだろう。
その謎を探るべく我々はアマゾンの奥地へ足を踏み入れた。
いや、正確には踏み入れたかった。
新型コロナが猛威を振るう世界では、アマゾンの奥地にたどり着くこと、いや、日本を出ることさえままならなかったのだ。
ただ冷静に考えてほしい。
この謎を難しく捉える必要はさらさらない。
なぜなら、
転職した人間が転職先の会社を短期間で辞めただけだからだ。
「なーんだ、簡単じゃんっ!」
という一昔前に流行したセリフが脳内を流れただろうか。
長らくふざけた文章に手が踊ってしまったが、話を戻すと、単純に無職になったのだ。
転職した会社を数ヶ月働いてみた結果、理由の明言は避けるが、社長との価値観における折り合いがつかなかったところにより退職することとした。
日本は人口減少が進んでいると言うけど、まだまだ約1.26億人もの人がいる。
世の中には本当にいろんな人間がいるのだ。
いい社会勉強になった。
こうして、早くも3つ目の肩書きを背負って生きていくことになった。
”Oh My Glasses”という眼鏡
職を失ってからは、家族、大学時代の友人や先輩、過去にアルバイトでお世話になった方など、本当に多くの方に励ましてもらったり、相談に乗ってもらったりした。
手始めに転職活動をするりと始めながら、出願だけしていて全然勉強時間を取れてなかった一級建築士製図試験に取り組むことにした。
生活リズムとなる試験勉強があったのは、とてもありがたかった。
無職期間中にも一度山を登った。後にも先にも唯一の娯楽となった。
しかも初めてのテント泊。
人生に迷っていたから山がなにかヒントを教えてくれると少し期待して行ったが、夜は高山病にやられてテントでうずくまっていた。泣きっ面に蜂とはこのことよ。
一晩中眠ったおかげで、翌朝はだいぶ体調もよくなった。
下山を始めようとするときに、眼鏡からコンタクトレンズに変えるのに忘れていたので、すぐにその場でコンタクトを装着した。
このとき、外した眼鏡を邪魔だなと思ったことは覚えている。
リュックに入れると潰れるからと、かばんの外にかけたような気もする。
社会人1年目に、奮発して買ったOh My Glassesの3万円の眼鏡とは永遠のお別れとなった。
この経験を経て学んだことは、自分は何か一つのことに集中すると他の大事なものを大事であると認識するのを忘れてしまう傾向にある。
それは、目の前のことに集中しがちな熱い奴というわけではなく、人に合わせて行動しようとする結果自分を蔑ろにしてしまうだけなのだとも思う。
インドパスポート紛失事件から変わっていないのだ。
"一級建築士受験生"という肩書き
無職期間は、将来への不安を抱え、一日中ベッドの上でもんもんと悩む日々もあれば、人や企業に会いに行って自ら恥をかく日もあった。
ただただ悩むのは無駄なことで、行動することでしか前進しないということも学んだ。
その後無事に内定をいただいて、12月から今年3つ目の会社で働いている。
今の会社では、設計事務所の中で都市をつくる人間として働いている。
色々あったけど、もとの道に戻ることにした。
散々な一年だったが、最後の最後に、クリスマスイブにサンタさんから最高のプレゼントがやってきた。
一級建築士試験合格の通知である。
この日までにそのほとんどを失っていた自分への信頼が、最後の最後でプラマイゼロに戻ったのだった。
そして、このプラマイゼロは、ぼくにとってむしろプラスだった。
自分をもう少し信じてみてもいいんだと思えたから。
今年失ったものを振り返って
今年は3つの会社に在籍する稀有な年となった。
そして、本当にいろいろなものを失った。
しかし、失った分新たなものが手に入ることもまた事実。
一度立ち止まって見えてくるものは、意外にも多い。
これまでは真っ赤な炎を燃やしていたが、謙虚になった今、青い炎を小さくてもじっくり絶やさず燃やしていきたいと思う。
最後に、無職期間に山へ行く際に、「人生に迷っていたから山がなにかヒントを教えてくれると少し期待して行った」と書いたが、山は当然何も教えてくれなかった。それでも、行きの車内で流れていた友人のapplemusicのシャッフルから聞こえてきた、ずっと胸に残っている一節を最後に共有して終わりたい。
「幸せは『作るもの』じゃなくて、『気づく』もの。」
それでは、みなさん良いお年を〜!
一級建築士(学科)を独学で合格した記録
2020年と言えば、やはり「コロナ」に尽きる。
東京オリンピックが延期となり、その他様々なイベントが続々と中止された。
自分の予定が狂ってしまった人も多くいたのではないだろうか。
そんな中、個人的なチャレンジとして、一級建築士試験を受けた。
学科は独学で、製図は資格学校に通い、約半年間を一級建築士に費やしたので、その勉強方法や感じたことなどをつらつらと書きたいと思う。
まずは、学科試験を独学で突破した記録について書く。
- 0. 一級建築士試験を受けようと思ったわけ
- 1. 結論
- 2. 4月:戦いの準備期間
- 3. 5月:ゴールデンウィークより勉強開始
- 4. 6月:ひたすら問題集
- 5. 7月:問題集を終え、2周目。そして、昨年度の過去問を通しで解く。
- 6. 結果:無事合格
0. 一級建築士試験を受けようと思ったわけ
コロナが流行り出した今年の3月はまだ大阪の友人の家に遊びに行ったりしていた。
その友人は建築学科時代の同期であり、不意にこんなことを言われた。
「今年はオリンピックも中止だし、勉強に集中できるぞ。俺は一級建築士を受ける。」
確かに一理ある。
僕は、仕事で建築設計はしていないので、一級建築士なんて受ける気はさらさらなかった。もちろん持っていれば、仕事の幅は広がるし、直属の上司は一級建築士の資格を持っているから、全く興味がなかったわけじゃない。
この友人の言葉で、今年1年海外旅行にも行けないし、イベントも中止になるし、どうせ暇なら受けてみるかと思ってしまった。
ということで、僕のコロナチャレンジとして、一級建築士試験受験が始まったのだった。
1. 結論
結論から。
今回は初めてスタディプラスというアプリで記録してみたので、しっかりデータが残っている。
勉強期間:約2.5ヶ月
勉強時間:約240時間(217時間(記録)+α)
費用:約5万円
<費用内訳:3.5(テキスト)+0.5(模試)+0.3(法令集)+0.3(最新過去問集)+0.1(スマホアプリ)>
▲勉強時間
使った教材:
①昨年度の資格学校のテキスト
②法令集
③一級建築士 過去問題集チャレンジ7
④アプリ:受験対策一級建築士
2. 4月:戦いの準備期間
4月、僕は転勤のため引っ越しをした。その引越しのタイミングと同時並行で、まずは願書を取り寄せ、出願の準備をしていた。
昨年は、コロナの影響で、郵送のみの受付となった。
さらに学校からもらう単位の証明書については、大学が閉鎖されていた関係で、後から提出することが認められた。
実は、4月上旬に準備を始めたため、すでに願書提出に間に合わないスケジューリングだった。この特別措置があったおかげで、僕はなんとか出願することができた。
4月は、新しい家具や家電の調達、新天地でのテレワークなどで忙しく、勉強している時間はなかった。
というよりも勉強方法すらどうしようか考えていなかった。
ひとまず、メルカリで資格学校のテキストを購入することにした。
メルカリで3.5万円くらいで、昨年度の某S学院の教材を一式購入することができた。
法改正などの関係で、必ずしも全てが当てはまるわけじゃないが、できるだけ直近のものを買うことが望ましいと思う。
3. 5月:ゴールデンウィークより勉強開始
仕事やら新生活が落ち着き始めたゴールデンウィークに、教材も無事に届き、勉強を開始した。
5月にやったことは、次の2つだ。
①教科書を読む
②法令集の線引き
①「教科書を読む」について
教材は、ざっくりと言えば、「教科書」と「問題集」に分かれている。
まずは、試験範囲を把握するためにも教科書を読むことにした。
早速、
「一級建築士の試験範囲の広さよ、とほほ」
という状態になった。
それくらい、勉強量が多い。
ただ、ここでは内容を覚えるというよりも、「試験の全体像を把握する」というくらいの心持で読んでいた。
一級建築士試験は、計画、環境・設備、構造、法規、施工の5教科あるので、この5つの分野を1章ずつ順番に読んでいくことで、一つに没頭しすぎないようにした。
順番に読むことで、頭もリフレッシュできるのでよかった。
②「法令集の線引き」について
法令集の線引きは早いうちにやったほうがいい!と強く言っておきたい。
ただ線を引くだけなので、願書の準備と同時並行でやるくらいがいいですよ。
法令集は、いろいろな会社から出版されているけど、僕はA5サイズの総合資格学院の法令集にした。
机の上でスペースを取らないコンパクトな大きさであり、試験本番で問題用紙をおきながらの使い勝手も良い。
もちろん、中身は見やすく、持ち歩くにも軽くてよかった。
法令集はどれにしようか迷ってしまいがちだけど、迷っている時間が無駄なので、どれでもいいので書店で手にとってさっさと決めてしまいましょう。
そして、重要箇所の線引きとインデックスのセットは、予想以上に時間がかかった。
勉強の息抜きにYouTubeを流しながら、無心で作業していたが、15時間くらいかかったような気がする(残念ながら、時間を記録していなかったため、正確な時間は分からない)。
4. 6月:ひたすら問題集
6月にやったことは、以下2つ。
①問題集を解く。
②スマホアプリを購入。
③模試を受ける。
①「問題集を解く」について
5月で教科書の読破が大方終わったので、ひたすらに問題集を解く。
教科書を読むときと同様に、問題集も1章ごとに全分野並行して進めて行った。
もちろん、教科書を一回読んだだけでは、さくっと解ける問題は多くない。
間違えた問題は、しっかり教科書に戻って納得いくまで理解する。
そして、間違えた問題には、印をつけておく。
ここでは、一つ一つの問題をしっかり理解することが重要だった。
②「スマホアプリを購入」について
さらには、スマホアプリを購入して、空き時間で知識を詰め込んだ。
使い方としては、直近で問題集を使って解いた問題と同じカテゴリーの問題をとにかく解く。
③「模試を受ける」について
独学の受験生は、外部模試を受けることをおすすめする。本番の試験を想定するために。
僕は、6月の半ばに日建学院の模試を受けた。
本当は、この模試までに問題集を全て終わらすつもりでいたが、6割ほどしか終えていない状態で模試に臨むことになった。
結果はどうあれ、初めて時間を意識して解くことで、それぞれの科目の時間がどういう感じかを掴むことができた。
特に、法規は時間がないということと、構造と施工は時間がたっぷり余ることを知れたのは大きかった。
5. 7月:問題集を終え、2周目。そして、昨年度の過去問を通しで解く。
7月は、問題集を終え、さらに、間違えた問題だけもう一度解く。
やはり、繰り返し解くことで、自分が理解できているのかを確認し、より知識を定着することができる。
1周目で、間違えた問題に印をつけておくのは、この時のためだ。
そして、最後に、一番直近の過去問を通しで解いた。
ここまでやれば、だいたいのことは頭に入った。
6. 結果:無事合格
自己採点ではあるが、合格基準点より10点ほど高い点数を取ることができた。
学科試験に受かるには、以下の2つが必要だと思った。
①良い教材
②十分な勉強時間
①については、色んな方法で資格学校のテキストを手に入れるべきだろう。
②については、言わずもがなで、圧倒的量に対してそれなりの勉強時間が必要ということだ。僕は、試験直前は会社の昼休みにオフィスの非常階段の人目につかないところでひたすらにスマホのアプリをいじくっていました。
これから受験する人へ、少しでも参考になれば幸いです。
3.11から10年が経って
10年前、高校2年生だった。
期末テストを来週に控えていたから、午前中で授業が終わった。
授業が終わって、友達と駅の近くのマックで昼ごはんを食べた。
3学期の期末テストは、受験勉強が本格化する前の最後のテストだった。この時が、あまり将来も考えずにおちゃらけていられる最後の時間になった。
「バイバイ」
いつものように駅で別れて、電車に乗る。
オレンジ色の電車に揺られて、家に帰る。
午後2時46分。
僕は、最寄り駅から自宅までの帰り道にいた。
ものすごい揺れが大地を襲った。
住宅街の塀が聞いたこともない音を立ててペラペラの紙みたいにゆらゆら揺れていた。
身の危険を感じても、その場でしゃがむことしかできなかった。
揺れが収まるとすぐに自宅に向かった。
家に帰ると、祖父がいて、家の中もすごい揺れたことを聞いた。
テレビをつけると、どのチャンネルも緊急生放送で地震のことを報じている。
どうやら東北が震源地のようだった。
すぐに仕事中の母親と電話で連絡がとれた。
電話が繋がったのは、今はなき、WILLCOMのピッチを使っていたから。
携帯電話の通信網はすぐにダメになった。
地震を伝えるテレビの放送にはすぐに飽きてしまって、自分の部屋に戻った。
そのあと少しして、気になってリビングのテレビに向かう。
田んぼや畑ばかりの茶色い大地が、どす黒い濁った流体に覆われていく映像が映し出されていた。
何が起きているか、一瞬理解できないその映像に釘付けになった。
とんでもないことが起きていると、この時に知った。
どす黒い流体はゆっくりと着実に大地を飲み込んでいく。
ゆっくり見えたのは、ヘリコプターからの視点だからで、地上から見たらもっとずっと速いんだろうけど、そんなことも想像できないくらいに、ゆっくりと画面を覆う不気味な流体を眺めるしかなかった。
自分にはどうしようもなかった。
-
その日だったか、翌日だったか覚えていない、すぐに学校から期末テストが中止になる連絡があった。
僕のやるべきことはなんだろう。
さっきまでの自分にはバイバイをして、受験勉強を始めようと思った。
この後、例年になく長くなった春休みを通して、数学の問題集をひたすら解いた。
-
10年という月日は、振り返るにはキリがいい。
キリがいいから、何がいいってことじゃないけど、これが10年という月日の長さか、と実感できる。
これほど体感的に10年間をすんなり捉えられた経験はこれまでの人生になかったように思う。
大人の時間感覚になってから初めての10年なんだと思う。
そして、不思議なご縁で、10年後の今日、僕は仕事の用事で、仙台からいわきまで車を運転している。
津波に飲みこれまれた空港や、白い煙を上げた原発を横目に見ながら、復興予算で完成した高速道路を走っている。
どうやら、10年前の自分からはだいぶ遠いところに来ているみたいだ。
10年後は37歳だ。
何をしているんだろう。楽しくやってるかな。もしかしたら、生きていないかもしれない。
あの日、家のリビングでテレビの中に映し出されていた映像は、生きている今がとてつもなくありがたいことだと気付かせてくれる。
-
3.11の犠牲者のみなさまに哀悼の意を表します。
2021.3.11
デスクをこたつ化してみた
東北の冬はやはり寒い!!
仙台で初めて迎える冬。やはり、寒い。
雪は積もらないと聞いていたのに、今年はかなり雪が積もる。
最高気温が氷点下の日もあった。
暖房だけでは生きていけない…。
色々と暖房器具を調べてみると、こたつが最も安価に導入できて、電気代も安いらしい。
キミにきめた。
ということで、こたつの作り方を簡単にまとめてみた。
【目次】
0 僕の机の紹介
僕の部屋には、一台の大きめの机がある。
この机で、作業から食事から何でもこなしている。
そもそもこの机は、IKEAの鉄脚に木の天板を乗せているだけの構造。天板は、ホームセンターで買ってきて、自分でニスを塗って仕上げている。
今回は、この机をこたつ化してみる。
1 材料
まずは、こたつをつくるのに必要な④種類の材料について紹介する。
①こたつ用ヒーター
名前の通り、こたつの中にあるヒーターだ。
こたつ用ヒーターには、いくつか種類がある。石英管、ハロゲン、カーボン、コルチェなどなど。調べてみればそれぞれの長所と短所がわかる。
僕はカーボンにした。理由としては、石英管よりも暖かくて、電気代がハロゲンより安いから。
僕はメトロ製のこたつ用ヒーターを買った。
ちなみに、コードはついてくるので単体での購入で問題ない。
②天板(小)900mmx600mm 厚さ9mmの合板
こたつ用ヒーターを取り付けるための天板だ。
もともと使っている天板に取り付けることでも問題ないのだけど、こたつを使うのは冬だけだから、夏になったらこの天板(小)を取ってしまえば、簡単にコタツなしデスクになるという仕様にしたかったから、天板(小)が必要だった。
板の大きさは、鉄脚に架けられるようにすることと、こたつ布団の大きさで決定するといい。
ハイデスク用のこたつ布団の大きさは限られているので、先に調べておくほうがスマートだ。
僕の場合は、天板が大きかったので、鉄脚の間隔を900mm以上は確保する必要があった。
さらに、ハイデスクのこたつ布団を検索すると、900mmx600mmの大きさのものがあったので、この大きさに決定した。
③MDF(軟質繊維板) 300mmx300mm 厚さ5mm
こちらは、こたつ用ヒーターと天板(小)の間に設置することでヒーターの熱で天板が燃えるのを防ぐために必要な部材だ。
ハードボードが望ましいらしいけど、MDFでも問題ないと言われている。
ホームセンターでちょうどいい大きさで売られているので、これを使わない手はない。
④L字金具
この金具は、天板からこたつ用ヒーターを吊るすのに使う。
一般的には、木組みを組んでこたつ用ヒーターを固定するらしいけど、圧倒的に金具で留めてしまったほうが作業が楽だ。
2 作り方
まずは、天板(小)にMDFを取り付ける。
天板の真ん中に来るように設定した。
次に、天板(小)にL字金具を取り付ける。
これは、こたつ用ヒーターのネジ穴の間隔を測って、正確な位置に設置する必要がある。
そして、こたつ用ヒーターをねじで止める。
このネジは、こたつ用ヒーターに備え付けでついてくるものだ。
最後に天板(小)を裏返して、その上に本当の天板をおいてしまえば出来上がり。
スイッチを付けてみるとこんな感じ。
3 まとめ
こたつは意外と簡単に作れるんだな〜と思い知った。
そして、電気代も安いのでケチらずにつけっぱなしにしていられる。
まだ、こたつ布団が届いていないけど、すでに十分な暖かさを誇っている。
ちなみに、かかった費用も記録しておこう。
こたつ用ヒーター 7180円
天板(小) 1400円
MDF 300円
L字金具 1100円
合計 約1万円
みなさんも寒さに耐えかねて、こたつを着けたいときは参考にしてみてください。
仙台の冬が寒すぎるのでコタツをDIYで取り付けたのだけど、この重力に逆らう「吊り」機構の美しさにうっとりしてしまった。 pic.twitter.com/GNnOk4Yl0a
— UD (@dadadadaiyu) January 13, 2021
今年買ってよかったもの/2020を振り返る
一年がまた終わろうとしている。
今年は、コロナでいろいろ自粛になり、何もイベントがないまま過ぎ去ってしまったからか、年の瀬だという実感があまりない。
最近、だらだらしながらtwitterを眺めていたら、とあるnoteが目に止まった。
このnoteを見て、僕も今年を振り返りたくなった。
ただ買ったものを紹介するのでなくて、1年間の出来事を振り返りながらってのがめちゃくちゃ良い。
きっと未来の教科書に載る1年だったからこそ、今一度振り返ってみたい。
(ほとんど、安藤さんのnoteの構成をマネしますがご容赦ください。)
目次
- 1月/地方で古民家のリノベーション
- 2月/えぞ松の閉店、そして着実に忍び寄るコロナの影
- 3月/弊社、一斉のテレワーク命令下るも、私的に京都旅行
- 4月/ルームシェアの終わり、緊急事態宣言、新天地仙台へ
- 5月/自粛のGWを越えて、普通の生活への回帰
- 6月/リラックスチェアとお掃除ロボ
- 7月/試験と貧血と台風と
- 8月/仕事本格始動とダテバイク生活
- 9月/製図漬けの1ヶ月
- 10月/試験からの解放と旅行
- 11月/登山とフライパン
- 12月/カメラと靴と旅
- 今年買ったものを振り返って
1月/地方で古民家のリノベーション
2020のスタートは、家族でのお墓参りから始まった。
1月は、大学院時代の先輩、同期、後輩方と地方で古民家のリノベーションするプロジェクトに参加し始めた。
仕事でも、相変わらず大阪や広島などへ出張していた。
▲古民家の床を張り替える
▲出張時に見れた一富士
2月/えぞ松の閉店、そして着実に忍び寄るコロナの影
2月は、徐々にコロナが世間に認識され始めた頃。上旬は、チラホラと周りの人がマスクを着け始めたくらいだったと思う。僕も、2月の中旬くらいからマスクをするようになったと記憶している。
会社でマスクが配布されるようになったが、まだ持参する人が少なかったため、すぐに空になってしまっていた。まちなかでも、マスコミによる煽りでトイレットペーパーが消えたのを皮切りに、アルコールやマスク、石鹸が品切れになった。
2月は、コロナなんかよりも個人的に大きなニュースがあった。僕のソウルフード「えぞ松神楽坂店」の閉店だ。
ルームメイトとともに、えぞ松に通い詰めた2月だった。
今年一ショックなニュース
— UD (@dadadadaiyu) February 6, 2020
えぞ松神楽坂店閉店か…悲しみ pic.twitter.com/I3f1Tn9rsO
▲最後に食べたメニューは、やっぱりホイコーロー
▲大将の背中をパシャリ
3月/弊社、一斉のテレワーク命令下るも、私的に京都旅行
僕の仕事は年度末が繁忙期。
そんな中、社員一斉のテレワーク命令が出た。2週間の期間限定で、管理職以外は基本的に出社禁止になった。この時はまだ、新型コロナウイルスはすぐに収まるような楽観論が世論の主流だったから、そのような中でテレワーク移行の決断をした社長は英断だったと、振り返って思う。
ちなみに、テレワーク1日目の僕のツイートはこれ。
初テレワークを実施。夜ご飯の買い物以外は外出せず、家に篭って黙々と仕事をすることになった。初日だからいいけど、これが長い間続くと、起きて働いて寝るを繰り返す牢獄の中の奴隷みたいになりそう。テレワークの普及によって、これまで敬遠されてきた「通勤」という行為が見直される未来は近い。
— UD (@dadadadaiyu) March 2, 2020
この時の僕は、当然、2週間後にはまた会社に出勤するものだと思っていた。
ルームシェアをしている部屋には、もちろん働くスペースなんて用意できていなかったから、まずは働く環境づくりに取り掛かった。
幸いにも、テレワークのおかげでパワハラ気味の先輩と距離を取ることができ年度末を無事に乗り越えた。
▲プロジェクターでデュアルモニター環境を作り出す努力
▲神楽坂のランチに毎日出かけた
という感じで、僕自身、突然訪れた非日常にある種の「楽しさ」を感じていた。コロナ禍の始まりではあったけど、僕のように「コロナハイ」の状態だった人が多かったのではないかと思う。
このような危機意識の無さもあり、前々から計画していた、大学の友人に会いに行く京都・大阪旅行を決行した。観光客がいなくなった京都を満喫する素晴らしい旅だった(こんなこと書いたら怒られそうだけど)。
▲人の少ない鴨川
この旅で、大阪に住む友人にディープな大阪を案内してもらった。そこで訪れたのが、中崎町の古着屋。みんなで春先のロングコートを買う流れになって、代わる代わる試着した。これまでの人生あんまり洋服に興味がなかったのだけど、この時は初めて洋服選びが楽しかった。
友達が似合っている服が自分に似合うわけじゃないし、友達が試着してみて全然似合わなかった服が僕にはとても似合ったり。
一つの正解がなくて、それぞれの体型や雰囲気で最適な服って変わるんだ、と実感した。
そして、この時、僕にしか(少なくとも友人たちの中では)似合わないコートを手に入れた。
結果的に春先のコートではなくて、アウトドアブランドのしっかり暖かいコートだけど、まさに今、冬の仙台で大活躍している。
▲high sierraのダウンコート
あー、そして、もう一つ買ってよかったもの!
この京都大阪旅行でも大活躍したもの。そう、iphone11だ。
2年ぶりに、iphone seから乗り換えた。性能もスラスラで、広角カメラも楽しい。そして、2年前から大きく変わった、「動画コンテンツをスマホで見るようになった」というライフスタイルに抜群に対応する大きな画面。
最高の買い物でした。
▲iphone11、めっちゃくちゃいいよ
4月/ルームシェアの終わり、緊急事態宣言、新天地仙台へ
コロナのせいで、僕の転勤は2週間ずれ込んだ。
そのおかげで、ルームシェア生活をきっかり2年間住みきって終えることとなった。
ルームシェア最終日、この時ばかりは2年間という月日の重さを肌で感じた。ルームメイトとのお別れを悲しむ自分に驚いた。
3月末は、コロナ第一波のピークで、世間的にも自粛ムードが強くて、年末みたいにずっと家に籠もっていたせいもあるかもしれない。
神楽坂での2年間のルームシェア生活が終わりました。テラスハウスの卒業シーンでメンバーが泣く理由が、今なら少し分かるような気がします。
— UD (@dadadadaiyu) April 5, 2020
▲僕の後釜となる友人も含めて3人でカタンをやっていたのが懐かしい
そして、緊急事態宣言の予告が出たので、前日に出社し荷物を仙台へ発送した。
東京を自転車で横断して実家まで帰った。
ちなみに、もちろん、東京での壮行会は全て中止となった。
緊急事態宣言が発令された日の東京(神保町、新宿、高円寺) pic.twitter.com/bM5d4tI2jf
— UD (@dadadadaiyu) April 7, 2020
その後、無事に仙台へ異動。
初日からテレワークということで、引っ越した意味がな…、いや、住む場所が会社の場所に縛られない自由な社会の到来にちょっと胸を躍らせて。
▲仙台へ向かう日の朝。東京駅前広場には人の姿がなかった。
そして、やはり4月の重大ニュースは、これだろう。
まさか、私がコロナに(!?)。
足に霜焼けができて、微熱が出るということで、本当に死ぬんじゃないかと覚悟した。
詳しくは、下の記事に渡す。
4月は、新生活のスタートということで、いろいろ家電を買った。
買ってよかったもの圧倒的1位はドラム式洗濯機だ。
お高いんだけど、お金以上に大切な時間を生み出してくれるので、本当に買ってよかったと思っている。
結局のところ、大事なシャツなどは手で干しているけど、下着は全て乾燥してもらうことで、靴下一足ずつ干すあの手間から解放されたのは本当にテクノロジー。
「幸せな買い物とは、あなたの時間を生み出すもの」って、どこかのメンタリストが言っていたけど、まさにこれを実感する買い物でした。
5月/自粛のGWを越えて、普通の生活への回帰
ゴールデンウィークは、完全に自粛モードとなった。
この自粛社会に対して、多くの有名人がyoutubeで無料のライブや講演会をやっていたから、そういうのを見て楽しんでいた。
特に、一番嬉しかったのは、Mr.Childrenのライブ映像の公開(正確には4月の出来事)。
ゴールデンウィークが空けても1週間ほどテレワークが続いた。
そんな中、後輩と同期に呼ばれて、こっそり飲みに行ったのが、僕が仙台に来てオフラインで人と会う最初のイベントとなった。
つまり、仙台に来て1ヶ月は人と会っていなかったことになる。
仙台に赴任して33日、初めて知ってる人とオフラインで会いました。同期と後輩と食べた2ヶ月ぶりの焼き鳥と日本酒は心と身体に滲みました。焼き鳥も日本酒もこんなに美味しかったでしたっけ?もう一生ないだろうな、こんな経験は。
— UD (@dadadadaiyu) May 14, 2020
そして、仙台に来て1ヶ月が過ぎた頃、とうとう出社することが許可された。初めて会う上司には、身長の高さにびっくりされる。
画面越しで伝わらないのは、身長でした(綾鷹風に)。
その後は、毎日出社の生活がまた始まった。というのも、仙台の状況は東京とは全く違う。東京ほど人が密にならない。というか、東京だけが異常なんだよなあ。
5月は、薬局にハンドソープが帰ってきた歴史的な月でもある。
買い溜めをするのは本当によくないと改めて言っておく。
薬局にて、ハンドソープを見つけた。50日以上探し求めたけど、手に入らなかった。こりゃ珍しい。 pic.twitter.com/JsbCVQCWfI
— UD (@dadadadaiyu) May 27, 2020
個人的には、初めて仙台の外へ出たのも5月だった。
仕事で隣のさくらんぼ王国へ。
本格的に仙台の生活が始まったのだ。
▲さくらんぼ王国
そして、新しいメディアをこっそり立ち上げたもの5月だった。
「トシ二スム」という都市に住まうことを考えるメディアだ。 2年間のルームシェア生活を踏まえて、暮らしの視点から都市を考えていく場にしようと始まった。
もしよければ、覗いてみてください。
6月/リラックスチェアとお掃除ロボ
6月も、普通の生活を送ったので、とりわけ書くことはない。
ただ、この月は買ってよかったもの2つある。
一つは、テレワーク生活中に、椅子とベッドしかなくて、その中間となるものが欲しかった。
そこで、ヘリノックスの『チェアツー』を買ってみた。
ヘリノックスは、以前ルームメイトが買っていたので、その座り心地の良さや使い勝手の良さは知っていた。
家の中のリラックスチェアとして非常に役立っている。
▲折りたたみでこのサイズになる
もう一つは、お掃除ロボット『Braava』だ。
部屋掃除という労働から僕を解放し、時間を生み出す家電だ。
ペットのようで、かわいいのも一人暮らしには良い。笑
お掃除ロボット「ブラーバ」を飼いました。優秀すぎます。 pic.twitter.com/PSej4nseY5
— UD (@dadadadaiyu) June 12, 2020
7月/試験と貧血と台風と
7月のイベントは一級建築士試験の学科試験。
2ヶ月半でなんとか詰め込んだ知識で、なんとか合格することができた。
すぐさま始まる製図試験対策。
学科試験までに根詰め込み過ぎたのか、3日後に会社で軽い貧血を起こす。
過度のストレスが原因のようで、良い休暇になった笑。
製図勉強が始まる前の1週間に、自分へのご褒美として友人と登山を計画していた。しかも、初のテント泊登山。
試験のため、登山の準備がギリギリになりながらも、寝袋とテントを購入!
からの台風!
雨天中止となりました。
買ったテントは一度も組み立てていないし、寝袋も一度も組み立て(ry…。
8月/仕事本格始動とダテバイク生活
8月は、7月までに仕込んできた仕事が始まった月。
自分も関わって勝ち取った仕事を始められるということで、それはもうウキウキのスタート。
仙台の夏も本格化してきた。
そんな8月の仙台で買ってよかったものは、「ダテバイク」。
正確には買っていない。ダテバイクというシェアサイクルサービスの利用を開始したのだ。
これがとても快適。ミニベロを持ってるのだけど、乗り捨てできる快適さと電動自転車の漕ぎ出しの楽さには驚いた。
9月/製図漬けの1ヶ月
この月も写真フォルダを見返しても大した写真はなかった。というのも、10月頭の試験に備えて製図漬けの日々を送っていたからに違いない。
買ったものも少ないけど、製図資料を整理するために必要なスティックのりが買ってよかったものだろう。
nendoの佐藤オオキさんがデザインしたスティックのり。
かわいいから、インテリアとしてもいいのだけど、機能性も抜群。四角の断面のスティックのりって今までなんでなかったんだろう。角まで塗れて使いやすい。
サイトもめちゃくちゃ洒落てる。
インテリアとしてもおすすめです。
10月/試験からの解放と旅行
10月頭に製図試験を無事に受け終えた。
一級建築士製図試験のキャッチフレーズを考えました。
— UD (@dadadadaiyu) October 11, 2020
「ウィダーインゼリーを飲む10秒すら惜しい6時間30分」
試験からも解放されて、10月は旅行に行きつつ、部屋の掃除など生活の再建をした。
▲大学院の同期と三陸をめぐる
▲法事で京都へ(仙台に来て以来初めて仙台を出た)
11月/登山とフライパン
11月は、仙台の山へ登山。
ここ5年間は、毎年1座登ってきたので、今年もまた継続できて良かった。
今年は冬山に登ってみたい。
▲仙台市民の心の山、泉ヶ岳。東京都民にとっての高尾山みたいなものらしい。
そして、テレワークでおうちごはんが盛り上がっているなか、料理が美味しくなるフライパンとして有名になっていたvermicular のフライパンが、注文から半年して届いた。
見た目のかっこよさもさることながら、料理も美味しくできて、とても気に入っている。
▲フライパンがかっこいいとテンションが上がる
12月/カメラと靴と旅
12月は、カメラを買った。
大学2年生の時に、SONYのサイバーショットを買って以来だ。
毎年海外旅行に行っていて、旅が好きだったから、これから東北の各地に旅行するときにも、キレイな写真で記録を残せたらと思った。
一ヶ月もリサーチして、やっと決めたのが、Fujifilmの『XT-4』だ。
レンズは、『xf35mmf1.4』を購入。
神レンズという評判に違わない、まさに神レンズ。
35mmという焦点距離は、全てをフレームには収めづらい焦点距離。
だからこそ、時間や空間を「切り取る」という新しいカメラの楽しさを教えてくれる最高のレンズだと使ってみて感じている。
そして、旅に欠かせないものとして、靴を買った。
こちらはallbirdsというブランドのスニーカーだ。
▲『Men's Wool Runners』
このスニーカーはメリノウールで作られているため、裸足で履くこともできるは着心地が良い。
地球環境にも優しい。
見た目もスタイリッシュで、歩くのが楽しくなるスニーカーだ。
このカメラと靴を携えて、12月は毎週末東北を巡った。
写真をいくつか。
▲立石寺(山形)
▲岩手県立美術館(岩手)
▲盛岡八幡宮(岩手)
▲女川駅ゆぽっぽ(宮城)
そして、もう一つ、寒い仙台に買ってよかったものが、コロンビアのテントシューズ『ネステントモック』。
部屋履きとして最高です。
今年買ったものを振り返って
書いてみたいと思って軽い気持ちで書き始めたけど、1年間をまとめるというのはとても大変な作業だ。
この記事を書く作業を通じて、1年間は決して短くなかったって認識できたので書いて良かった。
今年は、コロナ禍で色々とライフスタイルが変わった。
というのが一般的な見解だろうけど、東京を離れた身からすれば、正直これまでと変わりない生活をしていたように思う。
そういう意味で、東京や大阪のような大都市で過ごした人と、それ以外の都市で過ごした人で大きく異なる1年だったのではないだろうか。
どちらにせよ、この世界的なパンデミックで、生活の変革のスピードは大幅に上がっている。これからの時代がどんなものになるかを考えながら、自分の身をどこに置くか考えていきたい。
そして、2021はどうか、もっと生きやすい世界になることを願ってやまない。
それでは、みなさん良いお年を!