ゆるろぐ -Urbanisme Log-

建築、都市を学び、生業とするわたしのことだま。

記ろぐ8 〜ブログ書くのってめんどくさい〜

さて、そろそろ限界である。

 

こんばんは。

 

ブログ書くのってめんどくさいってことを、とうとうブログに書いている。

心に留めておく段階を超えて、ブログを書くというめんどくささを超えて、今パソコンのキーボードを叩いている。

 

暇なのだろうか。

いや、決して暇ではない。

暇ではないからこそ、ブログ書くのってめんどくさい、という思考に至るのである。

暇だったら、ブログくらい書くかー、と言っているに違いない。

 

かといって、忙しいわけじゃない。

こうやって、書き出してしまえば、もう213文字も書いているのだから。213は、2を打つ直前までの文字数であるから、今この時点では、260文字になっている。

 

そうやって、読み手を混乱させるような文章を書いてしまっている自分がいる。だらっと手を伸ばして、macbookのキーボードに並ぶ白い文字が書かれた黒いプラスチックを叩いている。

 

きっと、パソコンのない時代においては、書くことはもっとめんどくさいことだったに違いない。それは、小学生時代を思い返せば、みんなが納得する。原稿用紙を埋める作文は、途方もない作業だった。

 

もっとずっと前のことを考えると、書き言葉は位の高い人しか扱うことができなかったという歴史がある。教育を受けることができる者のみが文字を書くことができる。書くという行為ができることに感謝しないといけないのかもしれない。

 

昔の人の文字といえば、綺麗で美しく流れるような黒い線が濁った色の和紙に書かれているのを思い浮かべることができる。それでも、江戸時代の文献を見ると、もはや解読することができないくらい、適当な線の集まりにしか見えないものもある。書くという行為は、やはり昔からめんどくさいものだったんだと思うし、それを見て共感できるのはその点だけだ。

 

卒業論文の調査では、江戸時代の文献を読める地元の図書館の司書さんに大変お世話になったことを思い出す。人が書く文字である限り、人が解読できるのだと思い知った。

 

さて、そろそろ限界である。

 

このブログも振り返ってみると、途中で書くのをやめてしまったシリーズというのがちょこちょこある。”道東ろぐ”シリーズもあれから2ヶ月たった今、書き終えられていない。

 

そうやって、時間は残酷にすぎ、全てを洗い流してくれると、どこかの子供が言っていた気がする。

 

だから、めんどくさいといって、受け身で日々を過ごすのはやめて、どんな作業にも自分の見方次第で様々な意味付けができるのだから、積極的に生きたいものである。

 

何かをするのに、理由なんていらないよ。

理由を聞いてくるのは、暇なやつだけだから。

当の本人は、もうやっているのだから、止まることなく走ればいい。

理由を聞いてくるやつは、行動できない自分が不安だから、理由を聞くことで相手を不安にさせたいだけだ。

 

と、誰に向けたメッセージかよく分からない文章を書いてしまったけど、こうしている間に、1000文字を超える駄文が出来上がってしまった。

 

今日は日曜日なので、明日に備えてもう寝ましょう。

 

次回から、ちゃんと書く。

記ろぐ7 〜Facebookとぼく。オワコンなのはどちらだろうか。〜

この一生続くと思われた、Facebook誕生日メッセージ煩悩の終止符は、ふいに打たれた。

 

久しぶりにブログを更新する。

待っていてくれたみんな、ありがとう。

感謝を伝えるところから始めたい。

 

感謝といえば、私事であるが、先週誕生日を迎えた。

誕生日といえば、誕生日ケーキと誕生日プレゼント。そして、「誕生日おめでとう!」

と言われるか言われないかのソワソワ感。

このソワソワ感、個人的には苦手で、自分から「誕生日だよ!」と言える仲の人ならばいいけど、もうちょっと遠い仲の人がいつ気づくのかを期待してしまって、落ち着いていられない。

小学校のときには、こんな心配することなかった。それくらい友達とは仲が良かったから。遠慮もなかったからだろうか。

こういうことが起こるのは、大人になってからではないだろうか。深い付き合いでもない人が周りに増えるようになると、この絶妙なソワソワ感が増す。

特に、SNSの誕生日お知らせ風習は、それを加速させる。

SNS上では友達だけど、実際にあってもあまり話さない人というのがやっかいである。

大学受験終了後の春休みに暇すぎてSNSデビューを決めて以来かれこれ6年、この呪縛は永遠と続くように思えた。

 

SNS上で、果たして何人の人が誕生日おめでとうメッセージをくれるのか。まさにその人の人望を表す一コマのように認識していた。

ただ、人数が多ければいいというものでもなく、友達の総人数Nに対して、メッセージをくれる友達をxとすれば、x/Nをできるだけ最大限にすることが好ましいような、そんな空気が作られていたように思う。

 

ぼくの実績はというと、このx/N=0.4くらいだ。

 

この数字を見たところで、それは良いのか悪いのか、判断はつかない。

 

まあとにかく、そういう風にとらえていたから、誕生日の日にFacebookを開けるのは緊張した。

「頼む。メッセージこーーい!」と願いながら、1日を過ごすことになる。

非常に煩わしい。

 

誕生日メッセージをもらうためには、まずは与えることが重要である。

Give and take. の原則である。

ぼくは、こんなにも誕生日メッセージの数を気にしている割に、この風習が嫌いだから、大学2年生になった時以来、誕生日メッセージを書くことはやめた。本当に、気持ちを伝えたい人には、みんなの見える前で言う必要はない。直接伝えればいい。それに、SNSがない時代ならそもそもこんなことは起きていなかったのだから、心の中で静かに祈ればいい。

それでも、give and takeを実践している人というのも、やはり存在していて、大学の友達は、友達全員に誕生日メッセージをしていた。親密ともいえない微妙な仲であると、返信する方も気を使う。仲いいふりをすればいいのか、驚いたふりをすればいいのか。びっくりマークはつけるべきか。

 

この一生続くと思われた、Facebook誕生日メッセージ煩悩の終止符は、ふいに打たれた。

 

今年、社会人になったぼくにとって、今回の誕生日は今までのそれとは明らかに置かれた状況が違った。

というのも、周りにぼくとFacebookで友人である人がほとんどいないということだ。そして、滅多なことがない限り、お互いの誕生日を知っていることはない。

例年のソワソワ感を感じずに、黙々と仕事をこなすだけ。

今日がどんなにか記念すべき日であるかを知っているのは、自分のほかにいないのだ。

これもこれでものがなしい。

そして、仕事中はスマホを見ないため、facebookを見る機会もなく時間は過ぎていった。

 

そして、夜、facebookを開いてみると、誕生日メッセージがたったの2件しかない。この結果を受けても、別になんとも思っていない自分がいた。思い返すと、最近facebook上で誰かが誕生日を祝われているのを目にしなくなった。流行はいつの日か途絶える。人間は飽きる生き物だ。

 

facebookが登場して7年(個人的時間軸)。最初は、タグ付けすることが自分を誇示する証であったのに、今となっては「投稿するほど特別なことではなく、投稿しないくらい僕たちは自然な友達だ」というポジショニングが現実世界の共通理解になってきた気がしている。facebookの時代はもう終わったのかもしれない。

 

さて、ここで一つ疑問をお持ちの読者がいるだろう。

それを見なかったことにはしない。なぜなら、ぼくもその疑問を感じた一人だからだ。

 

facebookがオワコンではなくて、お前がオワコンなのではないか。」

 

これについては、追求を避けたい。

 

誕生日くらいは、ハッピーでいよう。

道東ろぐ9 〜被災したという自覚はじわじわと沸き立つ〜 ​

停電でバスが運休になるなんて、一ミリも思っていなかった

 

昨日が夜行バスでの移動だったので、布団に入った僕はすぐに深い眠りに着いた。

 

そして翌朝。

 

朝起きる直前、妙にリアルな夢を見ていた。夢の中の出来事からシームレスに起きる、なんてことはそんなに頻繁に起こることじゃない。

 

時間を、スマホで確認するとまだ5時。

目覚ましの鳴る1時間も前に起きてしまった。僕を起こすことだけが楽しみの目覚ましには申し訳ない。

 

夢のせいか、妙に目が冴えている。

 

せっかく早く起きれたのだから、阿寒湖をたくさん観光しようと思い直して、布団を出る。

 

部屋のドアの近くで扇風機を回して洗濯物を乾かしていた。

スイッチを入れて寝たはずなのに、何故だか扇風機は止まっていた。

洗濯物を触ると湿っている。

なんで扇風機止まっちゃったの?と思ってスイッチを入れるが動かない。

何度もオンオフを繰り返すが全く動かない。

この扇風機はあまり使われていなくて、久々に回しっぱなしにしたら壊れちゃったのかもしれない。

ということにして、扇風機はもう諦める。

 

温泉に入って身体を覚ますことにした。

 

温泉は誰もいない。

貸切状態だ。

 

シャワーのレバーを上げる。

が、お湯が出ない。

というか、水すら出ない。

 

ここは所詮バスセンター。

早朝だから、シャワーを止めてしまっているんだろう。

 

幸いにも浴槽に溜まっている透明な液体は暖かい。温泉は電気がなくても暖かいから素晴らしい。

 

お湯に浸かる。

身体に染み込む。

足を伸ばして、一息つく。

「温泉、最高〜」

 

しばらくすると、ひとりのおじさんが入ってくる。

シャワーが出ないことを伝えねば、と思うもまだ今日一度も言葉を発していない僕の喉は少し躊躇する。

 

おじさんがシャワーのレバーを上げたのを見て、「シャワー、出ないんですよ」と声が出た。

 

「あー、やっぱり停電か。」と、おじさん。

 

シャワーが出ない原因が停電だと分かる。ただ、「やっぱり」という言葉が引っかかる。

 

浴槽のお湯で身体を洗い始めたおじさん。

 

「嫁さんから北海道の地震が大丈夫かって連絡があったんだよ。俺は揺れに気づかなかったなあ」

 

ん?

地震

 

札幌で大きな地震があって、それで道東地域も停電しているらしいことを知った。

 

よくよく思い返せば、今朝地震があった気がする。

結構揺れた気がしたけど、眠すぎて一瞬目を覚ますだけですぐに眠りに戻った。

今朝の夢は、そんな経緯からだったのかもしれない。

 

風呂をあがって、スマホを手に取る。

ツイッターを開くと、トレンドは北海道で埋め尽くされてる。

 

とんでもない地震であることだけは瞬時に理解できた。

 

苫小牧にある火力発電所が被災して、北海道全域の電気供給が止まっていた。

 

朝は明るい。

 

停電であることを理解したとして、全く困らない時間が朝である。

特に実感もないまま、とりあえず出かける支度をして早朝の阿寒湖に行く。

 

昨日コンビニで買ったパンを持ち、廊下の冷蔵庫からお茶とヨーグルトを取り出して宿舎を出る。

 

早朝は、人影も少ない。

明るい空と澄み切った空気だけ、といった感じだ。

 

だからこそ、停電であるなんて関係ない。

 

明るい時間の阿寒湖もまた、綺麗だった。

それでも、昨日見た夕暮れの阿寒湖には劣っていた。夕暮れに阿寒湖を見れて良かったと改めて思った。

 

湖畔のベンチで朝ごはんを食べる。

ヨーグルトは少しぬるい。そうか、停電で冷蔵庫も機能してなかったのか。忘れたように思い出すけど、北海道が停電だなんて未だに信じられない。なんたってまだ朝だからだ。

 

昨夜とは別の方向に、散歩コースがあるので湖畔に沿って歩いてみる。

 

↑朝の陽光が降り注ぎ、美しい。

↑突如現れる壁は…。

↑「根こそぎ」倒れた木である。まさに、「根こそぎ」。

↑開けた場所につく。

↑ここは、ボッケ。アイヌ語で「煮え立つ」という意味。地下からボコボコと沸いている。

↑色が薄く変わっているのは、沸き立っている場所の周辺だ。

↑森の中は、今まで訪れたことのあるどんな森とも違う雰囲気だった。

↑奇妙な倒木。

↑倒れた看板。台風のせいだろうか。それとも地震のせいだろうか。

↑森の出口は、神社の裏に通じていた。木を下るリスを発見。

 

30分ほどの散策を終えると、摩周駅へ向かうバスの時間にはちょうどいい時間になっていた。

むしろギリギリすぎるくらいだ。

小走りでバスセンターへ戻る。

バスセンターの横には、乗る予定のバスが停まっているが、まだ乗客はいない。運転手もいない。もうすぐ出発なのにおかしいな…、と思いながら横目で通り過ぎて部屋へ戻る。

荷物を取って宿泊所の窓口で鍵を返す。

 

バスに向かおうとすると、バスの窓口に数人の人だかり。

近づいて話を聞くと、バスは運休だという。

停電でバスが運休になるなんて、一ミリも思っていなかったぼく。呆然とするしかなかった。

停電になると、信号が点灯しない。無線が動かない。ガスの供給ができない。

つまり、走れない、ということだ。

 

これからどうしよう。

空港へのバスは、いくつか運行するという。

青年は、立ち尽くす。この時ばかりは、非常事態の北海道にいることを自覚しないではいられなかった青年。身体中の鼓動が、少しだけ早くなって脈を打った。 

道東ろぐ8 〜息を飲む、阿寒湖の美しさに〜

暗い水面と暗い山並み、そこに暗くなる空が溶け込む。

 

 

バスに揺られて2時間。

ほとんどの時間は草原の中を快走していたように思う。

遠くの山にかかる雲は、東京で見る雲よりも軽々しく見えた。

 ↑こんな景色がずっと続く。

 

なんの変哲も無いバスだが、座席のポケットには、絵本が入っていた。

日本語版と英語版がある。

タイトルは『ふんだりけったりクマ神さま』。

アイヌの伝承物語である。

他にすることもないので、絵本を手に取り、読んでみる。

アイヌ人が自然をどう捉えていたかがとても分かりやすく物語にされている。

あとがきによれば、作者は学生時代に書いたものだった。

バスと絵本、新しい組み合わせだが、この絵本を通じてアイヌ文化を知ってよりこれからの旅路が楽しみになった。

 

阿寒町に近づくと、学校帰りの高校生がバスに乗ってくる。

こんな場所で育ったら、どんなに豊かな感性を手にするのだろうか。

人が育つ場所は、その人に大きな影響を与えるのだと思う。

東京で育った人間からすると、東京以外で育った人はやっぱりどこか違う感性を持っているような気がする。

 

それから間も無く、阿寒湖温泉に到着した。

 

↑バスセンターの1階は、セイコーマート

 

バスセンターに到着して、宿泊するのもバスセンター。楽だ。

すぐにチェックインをする。バスセンタ宿泊部は、バス待合所の隣の建物だ。

 

建物の中に入ると、廊下が奥まで続き、廊下に沿って部屋が並んでいる。

↑寮のようなホテルなのか、ホテルのような寮なのか。

 

なんとも味気のないホテルだが、部屋はもっと味気ない。

ただ、寝泊まりするだけなら十分快適だ。

↑部屋の様子。6畳くらいのスペースに布団が2組、机とテレビとストーブ。

 

とりあえずスマホを充電しながら、これからすることを考える。

 

宿泊部には、温泉が付いているが、どうせなら周辺のホテルの日帰り温泉に入りたい。

が、調べ始めるも温泉はほとんど時間外。

日帰り温泉を受け入れている時間が極端に限定的なのだ。

「入らす気ないだろ!」

 

てことで、宿泊部の温泉に入ることにした。

まだ誰もいないので貸し切り状態。悪くない。

 

一風呂あびて、夜ご飯を食べるためまちをあるく。

まっすぐお店に向かおうとしたが、せっかくなので阿寒湖を拝む。

阿寒湖温泉は、阿寒湖に沿って曲線を描く通りに面してホテルやお店が並ぶ。

 

この通りの1本裏が阿寒湖の畔である。

ホテルの脇を通って裏側へ行くと、映った景色がこれである。

 

水面に波はなく、夕暮れに静まり返った阿寒湖。

時事刻々と弱まっていく光の中で、それに反して存在感を高めていく。

暗い水面と暗い山並み、そこに暗くなる空が溶け込む。

 

 

綺麗過ぎて、長い時間湖を眺めていた。

 

阿寒湖の畔には散歩道があるので、歩いてみる。

↑散歩道の灯りは、アイヌの伝統的な模様のかたちをしている。

 

こんな綺麗なのに、観光客は皆ホテルのガラス箱の中に入っている。

唯一ぼく以外に湖畔にいたのは、中国人のおじさん2人。大音量でべちゃくちゃ喋っていた。

 

散歩道の終点には豪勢なホテルが。

 ↑豪勢なホテルのロビーには、石像。

 

↑大通りを歩くと、お土産やさんがたくさん並んでいる。

↑木彫りのお土産がたくさんある。

 

そうしてぶらぶら歩いていると、アイヌコタンに行き着く。

アイヌコタンは、アイヌ文化のテーマパークのようなものだろうか。アイヌ文化の展示や、演舞の披露なども行っている。

アイヌコタンの入り口の門。

↑中は商店街のような構成。広い道の両側にお店が並ぶ。

↑作り物感がすごい。

↑こちらはアイヌの住居か。ただ、昨日の台風の影響なのか、立ち入り禁止。

 

アイヌ文化の展示が無料だったので、少し見学してみた。アイヌ独特の模様が印象的だった。

 

と、夕食目的のはずが、阿寒湖に誘われてずいぶん遠いところまで来た。

アイヌコタンからまた元の場所へ戻って、目的地のお店へ。

「炉ばた 浜っ子」

ほっけの焼き物を食べて、大満足。

↑炉ばた浜っ子

 

お腹も満たし、阿寒湖もみたので宿へ帰る。

 

寝る前に、明日以降の予定を立てる。

明日の宿を取っていないことを思い出す。

屈斜路湖ユースホステルを予約。

www.jyh.or.jp

 

明日の予定は、朝からバスで移動して摩周湖を見て、夜に屈斜路湖に着く。

 

なかなか決まらなかった予定が決まり、布団に入る。

 

少し早いくらいだが、明日は早起きして阿寒湖をもう一度みてから摩周湖へ行く。

 

北海道旅行は、まだまだ半分。

長い夏休み、最高だなんて思っていた。

まさか、翌日、いや、数時間後にあんなことが起こるなんて、この時のぼくはまだしらない。

 

 

道東ろぐ7 〜毛綱毅曠のまち、釧路〜

半世紀も経てば、土器とスマートフォンは同じガラスケースの中に展示されていても、まったく不思議じゃないだろう。

 

バスセンターから歩き出すと、雨はだいぶ弱くなっていた。

日本の端っこまで来てしまったことを、交番を見て知る。

なんと、ロシア語の表記。

 

気を取り直して、散策開始。

 

釧路駅周辺には、二つの市場がある。釧路和商市場と、くしろ丹頂市場だ。

前者が、どちらかといえば観光客向けの市場らしいが、まだ開店していなかったのでスルー。

 

まず向かったのは、フィッシャーマンズワーフMOOだ。

↑明らかに奇妙な建物。

↑積み木みたいだ。

 

こちらが、毛綱毅曠が設計した建築である。

 

ぼくは、毛綱毅曠に詳しいわけではない。学部の近代建築史の授業で、日本の近代の建築家の紹介の中で触れられていたのを覚えている。

授業で紹介されたのは毛綱毅曠の代表作である「反住器」。

母親のために設計した住宅で、箱が3重にかぶさって住空間を作っている。

それの何を先生が指摘していたかは覚えていない。ただ、強く印象に残った。

 

中に入ろうとするも、まだ営業時間じゃないので、おとなしく散策続行。

フィッシャーマンズワーフの隣には、釧路川が流れ、そこに大きな橋がかかっている。

 

奥に見える丘の上に登ってみようと思う。

 

↑立派な橋。正面に見えるのは、毛綱毅曠の設計したホテル。

↑河口の方を見る。なんだか知らないけど、蟹工船が思い出される。

↑丘の下についた。花壇は都計になっている。

 

↑驚くべきは、ラウンドアバウトになっていること。ラウンドアバウトとは、外国で見られる信号機を設置しないで交通を捌く交差点の形式。ロシアが近いからなのか、珍しい光景。

 

↑出世坂、と呼ばれる坂を登ると丘の上の公園に着く。

↑丘の上からの形式。見事な曇り空。

↑公園。

 

と、冗長になってきたので、ここからは建築単位でハイライトしていく。

 

日本銀行釧路支店

設計:西村好時

竣工年:1952(昭和27)年

 

形式美を感じる建築。丘の下に経っていて、先ほどの写真にもちらちら映っていた。重厚な銀行建築に惹かれた。銀行機能は移転しており、現在は空き家状態みたいだ。

 

②釧路センチュリーキャッスルホテル

設計:毛綱毅曠

竣工年:1987年

↑船をイメージして作られた上層部。

↑内部空間も船室が意識されている。こちらは扉のデザイン。

 

とても綺麗なホテルで泊まってみたいと思った。船を意識したデザインを随所に感じることができた。先日見た「シェイプ・オブ・ウォーター」の雰囲気を感じた。

 

③フィッシャーマンズワーフMOO

設計:毛綱毅曠

竣工年:1989年

↑どことなく、海底2万マイル感がある。

↑横には、無料の植物園が付いている。

↑玄関の証明のデザイン。

↑大きな倉庫のような内部空間。

↑ゴツゴツしすぎている。

 

一通り散策し終えて、市場の営業時間になったので駅の方向へ戻った。

↑釧路和商市場

勝手丼が名物と聞いて食べてみる。ご飯を買って、具材はお店を回って集めるというのが勝手丼だ。

↑ぼくの勝手丼。うますぎてびっくりぎょうてんはなびろりん。

 

この勢いで、お昼ご飯を紹介しとくと、、、これだぁ、1、2、3!

↑さんまんま

釧路の料理人が編み出した料理。さんまの蒲焼の下には、しその葉とごはん。美味美味。

 

そして、最後に釧路市立博物館へ。

↑これは博物館ではない。釧路市立幣舞中学校だ。毛綱毅曠設計。

↑こちらが博物館。毛綱毅曠設計。

釧路についての歴史や自然についての展示。非常にわかりやすく、ボリュームもたくさん。

 

これを見て、釧路湿原に行かないわけにはいかないと思い、走って釧路湿原へ向かった。

↑奇跡のショットがとれた。手前に写るのは、そう、丹頂鶴!

 

釧路の青空とどこまでも続く大草原。

そこに白く輝く鶴。

走ってきた甲斐があった。

釧路万歳。

 

 

なわけがない。

全部展示だ。

でも本物と見紛う背景の絵と、鶴の像。

展示クオリティすごいので、おすすめ。

 

土器を展示している部屋は無料で見ることができる。

↑よーく見ると、土器の間に土器じゃないものが…。

↑温度、湿度計だった。

半世紀も経てば、土器とスマートフォンは同じガラスケースの中に展示されていても、まったく不思議じゃないだろう。なんて思う。

 

 

これで、だいたい釧路は見れた。

それでも、まだ時間があるので、フィッシャーマンズワーフMOOで暇をつぶす。

そして、やっと晴れてきた。

遅れてやってきた台風一過だ。

 

↑雲が丹頂鶴のよう。

↑急に、いい天気。

 

ぼーっとして過ごして、時間になったので、駅へと歩く。

 

最後に駅だけ紹介しておきたい。

個人的に釧路駅、かなり好き。

というのも、駅ナカ売店がいい。

 

駅ナカに古本屋。本は安く、買取も行っている。

↑金券ショップ。やってなかったけど、うさんくささがいい。

昭和館満載のなつかし感。だれがみてもなつかしいと思わず口にしそう。

コッペパンの種類が豊富なパン屋さん。

↑買ってしまった。ポテトサラダのコッペパン

 

そして、そして、やっとこさバスの時間。

バスに乗る前に、7日間乗り放題のフリーパスポートを購入した(11000円)。

↑こちらのバスに乗って、出発。

 

青年は、とうとう、一つ目の湖、阿寒湖に向かう。

これがこの旅での最初で最後の湖になるとは、この時まったく想像していなかったのである。

道東ろぐ6 〜運休の嵐〜

 信号の赤と緑と、シマシマの道路は奇妙に映った。

 

急に目が覚める。

相変わらず、バスの車内にぼくはいる。

びっちりと閉まったカーテンをかき分けて、やっとの思いでできた小さな隙間から外の光が入る。窓の外には、灰色の世界が広がっていた。

なんともいえない気持ちになって、カーテンを締める。

前のシートの背中についているネットの中に放り込んだスマートフォンを、取り出して時間を確認すると、午前4時30分。

あと40分ほどで着く。

もう一度、眠りにつこうとしたけど、もう数十分前のぼくには戻れない。

どうやらぼくの身体は、バスのシートでぐっすり寝ていられる制限時間が決まっているみたいだ。

 

でも大丈夫。

スマートフォンをいじっていれば、時間は一瞬で過ぎ去る。

午前5時過ぎ、釧路駅前に到着した。

少し、雨が降っている。

濡れてしまうから、急いで駅へ向かうが、信号に捕まる。

立ち止まって改めて周りを見る。灰色をバックに、四角い建物と、とんがった協会が目に入る。

信号の赤と緑と、シマシマの道路は奇妙に映った。

 

駅へ着く。まずは、トイレで用をたす。

駅の中の店はもちろんひとつもやっていない。

セブンイレブンだけは、開店の準備をしていた。

待合室に入って、これからの予定を立てる。釧路湿原に行くことしか決まっていない。まずは、今夜の宿を取らなければ。

 

一人旅に来ている時は、ユースホステルやゲストハウスなどの安い宿に泊まることにしている。それらは、安いだけじゃなく、場所によってはおしゃれなホテルが多い。

 

ただ、この日は泊まろうと思っていたユースホステルは満席だった。どうしようかと悩みつつ、ネットサーフィンをしていると、過去の道東旅について書かれているサイトを発見。

4travel.jp

 

これによれば、阿寒バスセンター宿泊部という安い宿があるみたいだ。阿寒湖は高いホテルばかりだったので助かった。

ja.kushiro-lakeakan.com

すぐに電話をかけると、予約が取れた。

素泊まり、4000円。安い。

 

そして、電車を確認しようと思い、釧路駅の改札へ行くと、なんだか騒がしいアナウンスが流れている。

声が割れて、アナウンスの声がほとんど聞こえないが謝っているのだけは分かった。

電光掲示板を見ると、なんと、、、、、、、。

 

運休だ。

台風の影響で、線路上に樹木などが倒れていないか確認するためだという。

午後から電車は動くと言われた。

 

釧路湿原は諦めるしかなかった。

 

もしかすると、バスが動かない可能性もある…!と思って、駅員に聞くと、バスセンターの場所を教えてくれた。

駅からすぐのところにあるバスセンターへ向かった。

↑改めて釧路駅の周辺を見ると、廃墟のような建物ばかり。

 

バスセンターで、阿寒湖までのバスを運行している阿寒バスのカウンターに行くが、まだ誰もいない。

www.akanbus.co.jp

7時頃におばさんが出てきたので、聞くと今のところ運休の予定はないとのことで安心した。

 

阿寒湖行きのバスの時間を確認して、今日は釧路市内を観光することにした。

 

釧路は、建築家の毛綱毅曠の出身地であり、彼の建築がたくさんある。

毛綱毅曠 - Wikipedia

 

青年は、灰色の街に出かけた。

道東ろぐ5 〜嵐の夜に、刺青のおじさんと風呂に入る〜

なんだか遠いところまで来たなあと改めて思う。

 

飛行機が欠航になると、ゲートで待っていた客は一度集められ、係員に誘導されて到着ロビーへと一列で向かうことになる。

ちょうど今朝見た到着ロビーの風景をまた見ることとなるとは。

 

空いているベンチに座り、これからのことを考える。

 

明日の便にすることも可能かもしれないが、台風21号は明日の朝札幌に直撃する。

そう考えると、明日まで待って乗れないというのは、非常に悲しい。

 

新幹線で行くという手段もあるが、今から出発すると、釧路に着くのは0時前。向こうについてただ寝るだけになる。

 

以上を鑑みると、最適解として夜行バスが浮上した。

夜行バスなんて、もうずいぶん乗っていない。

学部の卒業論文で山形に通っていた時以来かもしれない。

 

社会人にまでなって、夜行バスという選択をする人はなかなかいないかもしれない。

貧乏旅癖がまだ体に染みついているぼくにとっては、当然の選択肢。

コストと時間を考えて、夜行バスに決めた。

 

予約していたゲストハウスに電話して、行けなくなった旨を伝えるとあっさり承諾される。もちろんキャンセル料は免除してくれた。

 

夜行バスは、札幌駅を23時頃出発の予定なので、それまで札幌駅周辺を再び観光することにした。

 

本日3回目のエアポート急行に乗り込み札幌へ。

 

ずいぶん暗くなってきた。

札幌駅の南側を歩くことにした。

 

南側は、北側に比べるとずいぶん賑わっていた。

↑南口駅前広場。博多駅のそれと近しい。

 

夜ご飯に回転寿しを食べようと思い、その店まで南下していく。

 

↑東京駅前のような並木道と赤煉瓦の建物。

↑有名な札幌テレビ塔

もう朝から歩き疲れたぼくは、まっすぐ回転寿し屋を目指した。

↑回転寿しぱさーる。地元の人行きつけの安い回転寿し、とグーグル先生が言っていた。

↑赤身。プリプリで濃厚。もう東京の安い居酒屋の刺身は食べられないだろう。

 

こうして幸せな寿司を食べ終えたあと、まだ時間があるので、夜行バスに備える買い物をして、銭湯で体を洗うことにした。

銭湯を検索すると札幌駅周辺にいくつかヒットする。綺麗な銭湯から汚い銭湯まで様々だが、昭和ながらの銭湯へ行くことにした。

 

↑闇夜に浮かび上がる七福湯。怪しく光る看板と薄暗い室内。

入浴料は440円。東京の銭湯より20円安い。

雨がしとしとと降り出していた。

 

番台のおばちゃんにお金を払って男湯へ。

脱衣所には、二人のおじさんが裸でソファに座り、スマホをいじっている。

ロッカーは小さい。二つ使って、大きな荷物を収納した。

脱衣所自体狭いので、おじさん二人と距離も近く、なんとなく居心地が悪い。

 

すぐに風呂場へ。

シャンプーやリンスは置いていない。仕方なく、お湯で流して洗った。

浴槽は3つもあり、一つは水風呂。サウナもある。

浴場から脱衣所を見ると、脱衣所のテレビが浴場に顔を向けている。

音声は、テレビとは別の場所にあるスピーカーから流れている。

スピーカーから流れ出る音声以上の大きさで風呂場を流れるお湯の音で、テレビの音声はほとんど聞こえない。

明石家さんまと彼を囲む多くのゲストの笑い声は、かろうじて小さく聞こえる。話している内容は全くわからない。

 

湯船に浸かる。

いつも家のリビングで見ていた番組だったからか、なんだか遠いところまで来たなあと改めて思う。

ああ、今は一人だ、と。

 

ここ最近、銭湯に行く時は、交互浴をするようにしていたから、ここでもしてみる。

ただ、七福湯の水風呂は冷たすぎた。そこは北海道水準なのか。

やはり遠いところまで来たようだ。

 

ゆっくりした後、浴場を出て脱衣所へ。入る前にいた二人のおじさんは、まだソファでスマホをいじっている。聞きなれない単語を交わしていたから、ソーシャルゲームでもやっていたのだろう。盛り上がったり、静まったり。

着替えていると、親子連れが入ってくる。お父さんと子供二人。ソファに座っていたおじさんが慣れた口で子供と会話する。常連さんのようだ。銭湯が地域のコミュニティスペースになっていた。

 

脱衣所の人数も増えたので、早く着替えて、荷物を整理する。

 

すると、一人のおじさんが入ってくる。

腕には、バスケット選手が試合中にしている汗を吸い取るカバーのような何かをつけている。

それを脱ぐと、緑と黒の混ざった皮膚が見えた。刺青だった。

思わず目を逸らした。絡まれたら、釧路行けねー。

おじさんはTシャツを脱ぐ。

好奇心に負けて、横目でおじさんを見る。

横目でも確認できるくらいの刺青が全身を埋め尽くす。

 

はー、札幌。

 

本当に遠いところまで来た。

 

急に、この銭湯にいることが怖くなって、すぐに脱衣所を出て、玄関のソファに座る。

 

別に、刺青している人全員が悪い人じゃないのは分かっている。

 

外で降る雨の音がさっきよりも強くなっていた。

夜行バスに備えて、スマートフォンの充電をさせてもらう。

ハサミを借りて、先ほど買ったサンダルのタグを切る。

 

テレビからは、台風21号を実況するアナウンサーの高鳴る声が聞こえてきた。

台風21号、とんでもない速度で北上していて、深夜には、台風の暴風を表す円が札幌を捉えていた。

 

少しくつろいだ後、銭湯をあとにする。

雨は、銭湯に入る前より弱くなっていた。

 

まだもう少し時間があったので、札幌駅の地下道に見つけたふかふかの椅子に座り、しばし仮眠をとる。

↑椅子からの風景。徐々に電気が消えていく。

 

時間通りにバスは来て、夜行バスに乗り込む。

3列シートの夜行バス。快適だ。

バスに吹き付ける雨風の音は、不安にさせるだけの大きさだった。

 

それでも、歩き疲れた青年はぐっすり眠った。