ゆるろぐ -Urbanisme Log-

建築、都市を学び、生業とするわたしのことだま。

道東ろぐ7 〜毛綱毅曠のまち、釧路〜

半世紀も経てば、土器とスマートフォンは同じガラスケースの中に展示されていても、まったく不思議じゃないだろう。

 

バスセンターから歩き出すと、雨はだいぶ弱くなっていた。

日本の端っこまで来てしまったことを、交番を見て知る。

なんと、ロシア語の表記。

 

気を取り直して、散策開始。

 

釧路駅周辺には、二つの市場がある。釧路和商市場と、くしろ丹頂市場だ。

前者が、どちらかといえば観光客向けの市場らしいが、まだ開店していなかったのでスルー。

 

まず向かったのは、フィッシャーマンズワーフMOOだ。

↑明らかに奇妙な建物。

↑積み木みたいだ。

 

こちらが、毛綱毅曠が設計した建築である。

 

ぼくは、毛綱毅曠に詳しいわけではない。学部の近代建築史の授業で、日本の近代の建築家の紹介の中で触れられていたのを覚えている。

授業で紹介されたのは毛綱毅曠の代表作である「反住器」。

母親のために設計した住宅で、箱が3重にかぶさって住空間を作っている。

それの何を先生が指摘していたかは覚えていない。ただ、強く印象に残った。

 

中に入ろうとするも、まだ営業時間じゃないので、おとなしく散策続行。

フィッシャーマンズワーフの隣には、釧路川が流れ、そこに大きな橋がかかっている。

 

奥に見える丘の上に登ってみようと思う。

 

↑立派な橋。正面に見えるのは、毛綱毅曠の設計したホテル。

↑河口の方を見る。なんだか知らないけど、蟹工船が思い出される。

↑丘の下についた。花壇は都計になっている。

 

↑驚くべきは、ラウンドアバウトになっていること。ラウンドアバウトとは、外国で見られる信号機を設置しないで交通を捌く交差点の形式。ロシアが近いからなのか、珍しい光景。

 

↑出世坂、と呼ばれる坂を登ると丘の上の公園に着く。

↑丘の上からの形式。見事な曇り空。

↑公園。

 

と、冗長になってきたので、ここからは建築単位でハイライトしていく。

 

日本銀行釧路支店

設計:西村好時

竣工年:1952(昭和27)年

 

形式美を感じる建築。丘の下に経っていて、先ほどの写真にもちらちら映っていた。重厚な銀行建築に惹かれた。銀行機能は移転しており、現在は空き家状態みたいだ。

 

②釧路センチュリーキャッスルホテル

設計:毛綱毅曠

竣工年:1987年

↑船をイメージして作られた上層部。

↑内部空間も船室が意識されている。こちらは扉のデザイン。

 

とても綺麗なホテルで泊まってみたいと思った。船を意識したデザインを随所に感じることができた。先日見た「シェイプ・オブ・ウォーター」の雰囲気を感じた。

 

③フィッシャーマンズワーフMOO

設計:毛綱毅曠

竣工年:1989年

↑どことなく、海底2万マイル感がある。

↑横には、無料の植物園が付いている。

↑玄関の証明のデザイン。

↑大きな倉庫のような内部空間。

↑ゴツゴツしすぎている。

 

一通り散策し終えて、市場の営業時間になったので駅の方向へ戻った。

↑釧路和商市場

勝手丼が名物と聞いて食べてみる。ご飯を買って、具材はお店を回って集めるというのが勝手丼だ。

↑ぼくの勝手丼。うますぎてびっくりぎょうてんはなびろりん。

 

この勢いで、お昼ご飯を紹介しとくと、、、これだぁ、1、2、3!

↑さんまんま

釧路の料理人が編み出した料理。さんまの蒲焼の下には、しその葉とごはん。美味美味。

 

そして、最後に釧路市立博物館へ。

↑これは博物館ではない。釧路市立幣舞中学校だ。毛綱毅曠設計。

↑こちらが博物館。毛綱毅曠設計。

釧路についての歴史や自然についての展示。非常にわかりやすく、ボリュームもたくさん。

 

これを見て、釧路湿原に行かないわけにはいかないと思い、走って釧路湿原へ向かった。

↑奇跡のショットがとれた。手前に写るのは、そう、丹頂鶴!

 

釧路の青空とどこまでも続く大草原。

そこに白く輝く鶴。

走ってきた甲斐があった。

釧路万歳。

 

 

なわけがない。

全部展示だ。

でも本物と見紛う背景の絵と、鶴の像。

展示クオリティすごいので、おすすめ。

 

土器を展示している部屋は無料で見ることができる。

↑よーく見ると、土器の間に土器じゃないものが…。

↑温度、湿度計だった。

半世紀も経てば、土器とスマートフォンは同じガラスケースの中に展示されていても、まったく不思議じゃないだろう。なんて思う。

 

 

これで、だいたい釧路は見れた。

それでも、まだ時間があるので、フィッシャーマンズワーフMOOで暇をつぶす。

そして、やっと晴れてきた。

遅れてやってきた台風一過だ。

 

↑雲が丹頂鶴のよう。

↑急に、いい天気。

 

ぼーっとして過ごして、時間になったので、駅へと歩く。

 

最後に駅だけ紹介しておきたい。

個人的に釧路駅、かなり好き。

というのも、駅ナカ売店がいい。

 

駅ナカに古本屋。本は安く、買取も行っている。

↑金券ショップ。やってなかったけど、うさんくささがいい。

昭和館満載のなつかし感。だれがみてもなつかしいと思わず口にしそう。

コッペパンの種類が豊富なパン屋さん。

↑買ってしまった。ポテトサラダのコッペパン

 

そして、そして、やっとこさバスの時間。

バスに乗る前に、7日間乗り放題のフリーパスポートを購入した(11000円)。

↑こちらのバスに乗って、出発。

 

青年は、とうとう、一つ目の湖、阿寒湖に向かう。

これがこの旅での最初で最後の湖になるとは、この時まったく想像していなかったのである。

道東ろぐ6 〜運休の嵐〜

 信号の赤と緑と、シマシマの道路は奇妙に映った。

 

急に目が覚める。

相変わらず、バスの車内にぼくはいる。

びっちりと閉まったカーテンをかき分けて、やっとの思いでできた小さな隙間から外の光が入る。窓の外には、灰色の世界が広がっていた。

なんともいえない気持ちになって、カーテンを締める。

前のシートの背中についているネットの中に放り込んだスマートフォンを、取り出して時間を確認すると、午前4時30分。

あと40分ほどで着く。

もう一度、眠りにつこうとしたけど、もう数十分前のぼくには戻れない。

どうやらぼくの身体は、バスのシートでぐっすり寝ていられる制限時間が決まっているみたいだ。

 

でも大丈夫。

スマートフォンをいじっていれば、時間は一瞬で過ぎ去る。

午前5時過ぎ、釧路駅前に到着した。

少し、雨が降っている。

濡れてしまうから、急いで駅へ向かうが、信号に捕まる。

立ち止まって改めて周りを見る。灰色をバックに、四角い建物と、とんがった協会が目に入る。

信号の赤と緑と、シマシマの道路は奇妙に映った。

 

駅へ着く。まずは、トイレで用をたす。

駅の中の店はもちろんひとつもやっていない。

セブンイレブンだけは、開店の準備をしていた。

待合室に入って、これからの予定を立てる。釧路湿原に行くことしか決まっていない。まずは、今夜の宿を取らなければ。

 

一人旅に来ている時は、ユースホステルやゲストハウスなどの安い宿に泊まることにしている。それらは、安いだけじゃなく、場所によってはおしゃれなホテルが多い。

 

ただ、この日は泊まろうと思っていたユースホステルは満席だった。どうしようかと悩みつつ、ネットサーフィンをしていると、過去の道東旅について書かれているサイトを発見。

4travel.jp

 

これによれば、阿寒バスセンター宿泊部という安い宿があるみたいだ。阿寒湖は高いホテルばかりだったので助かった。

ja.kushiro-lakeakan.com

すぐに電話をかけると、予約が取れた。

素泊まり、4000円。安い。

 

そして、電車を確認しようと思い、釧路駅の改札へ行くと、なんだか騒がしいアナウンスが流れている。

声が割れて、アナウンスの声がほとんど聞こえないが謝っているのだけは分かった。

電光掲示板を見ると、なんと、、、、、、、。

 

運休だ。

台風の影響で、線路上に樹木などが倒れていないか確認するためだという。

午後から電車は動くと言われた。

 

釧路湿原は諦めるしかなかった。

 

もしかすると、バスが動かない可能性もある…!と思って、駅員に聞くと、バスセンターの場所を教えてくれた。

駅からすぐのところにあるバスセンターへ向かった。

↑改めて釧路駅の周辺を見ると、廃墟のような建物ばかり。

 

バスセンターで、阿寒湖までのバスを運行している阿寒バスのカウンターに行くが、まだ誰もいない。

www.akanbus.co.jp

7時頃におばさんが出てきたので、聞くと今のところ運休の予定はないとのことで安心した。

 

阿寒湖行きのバスの時間を確認して、今日は釧路市内を観光することにした。

 

釧路は、建築家の毛綱毅曠の出身地であり、彼の建築がたくさんある。

毛綱毅曠 - Wikipedia

 

青年は、灰色の街に出かけた。

道東ろぐ5 〜嵐の夜に、刺青のおじさんと風呂に入る〜

なんだか遠いところまで来たなあと改めて思う。

 

飛行機が欠航になると、ゲートで待っていた客は一度集められ、係員に誘導されて到着ロビーへと一列で向かうことになる。

ちょうど今朝見た到着ロビーの風景をまた見ることとなるとは。

 

空いているベンチに座り、これからのことを考える。

 

明日の便にすることも可能かもしれないが、台風21号は明日の朝札幌に直撃する。

そう考えると、明日まで待って乗れないというのは、非常に悲しい。

 

新幹線で行くという手段もあるが、今から出発すると、釧路に着くのは0時前。向こうについてただ寝るだけになる。

 

以上を鑑みると、最適解として夜行バスが浮上した。

夜行バスなんて、もうずいぶん乗っていない。

学部の卒業論文で山形に通っていた時以来かもしれない。

 

社会人にまでなって、夜行バスという選択をする人はなかなかいないかもしれない。

貧乏旅癖がまだ体に染みついているぼくにとっては、当然の選択肢。

コストと時間を考えて、夜行バスに決めた。

 

予約していたゲストハウスに電話して、行けなくなった旨を伝えるとあっさり承諾される。もちろんキャンセル料は免除してくれた。

 

夜行バスは、札幌駅を23時頃出発の予定なので、それまで札幌駅周辺を再び観光することにした。

 

本日3回目のエアポート急行に乗り込み札幌へ。

 

ずいぶん暗くなってきた。

札幌駅の南側を歩くことにした。

 

南側は、北側に比べるとずいぶん賑わっていた。

↑南口駅前広場。博多駅のそれと近しい。

 

夜ご飯に回転寿しを食べようと思い、その店まで南下していく。

 

↑東京駅前のような並木道と赤煉瓦の建物。

↑有名な札幌テレビ塔

もう朝から歩き疲れたぼくは、まっすぐ回転寿し屋を目指した。

↑回転寿しぱさーる。地元の人行きつけの安い回転寿し、とグーグル先生が言っていた。

↑赤身。プリプリで濃厚。もう東京の安い居酒屋の刺身は食べられないだろう。

 

こうして幸せな寿司を食べ終えたあと、まだ時間があるので、夜行バスに備える買い物をして、銭湯で体を洗うことにした。

銭湯を検索すると札幌駅周辺にいくつかヒットする。綺麗な銭湯から汚い銭湯まで様々だが、昭和ながらの銭湯へ行くことにした。

 

↑闇夜に浮かび上がる七福湯。怪しく光る看板と薄暗い室内。

入浴料は440円。東京の銭湯より20円安い。

雨がしとしとと降り出していた。

 

番台のおばちゃんにお金を払って男湯へ。

脱衣所には、二人のおじさんが裸でソファに座り、スマホをいじっている。

ロッカーは小さい。二つ使って、大きな荷物を収納した。

脱衣所自体狭いので、おじさん二人と距離も近く、なんとなく居心地が悪い。

 

すぐに風呂場へ。

シャンプーやリンスは置いていない。仕方なく、お湯で流して洗った。

浴槽は3つもあり、一つは水風呂。サウナもある。

浴場から脱衣所を見ると、脱衣所のテレビが浴場に顔を向けている。

音声は、テレビとは別の場所にあるスピーカーから流れている。

スピーカーから流れ出る音声以上の大きさで風呂場を流れるお湯の音で、テレビの音声はほとんど聞こえない。

明石家さんまと彼を囲む多くのゲストの笑い声は、かろうじて小さく聞こえる。話している内容は全くわからない。

 

湯船に浸かる。

いつも家のリビングで見ていた番組だったからか、なんだか遠いところまで来たなあと改めて思う。

ああ、今は一人だ、と。

 

ここ最近、銭湯に行く時は、交互浴をするようにしていたから、ここでもしてみる。

ただ、七福湯の水風呂は冷たすぎた。そこは北海道水準なのか。

やはり遠いところまで来たようだ。

 

ゆっくりした後、浴場を出て脱衣所へ。入る前にいた二人のおじさんは、まだソファでスマホをいじっている。聞きなれない単語を交わしていたから、ソーシャルゲームでもやっていたのだろう。盛り上がったり、静まったり。

着替えていると、親子連れが入ってくる。お父さんと子供二人。ソファに座っていたおじさんが慣れた口で子供と会話する。常連さんのようだ。銭湯が地域のコミュニティスペースになっていた。

 

脱衣所の人数も増えたので、早く着替えて、荷物を整理する。

 

すると、一人のおじさんが入ってくる。

腕には、バスケット選手が試合中にしている汗を吸い取るカバーのような何かをつけている。

それを脱ぐと、緑と黒の混ざった皮膚が見えた。刺青だった。

思わず目を逸らした。絡まれたら、釧路行けねー。

おじさんはTシャツを脱ぐ。

好奇心に負けて、横目でおじさんを見る。

横目でも確認できるくらいの刺青が全身を埋め尽くす。

 

はー、札幌。

 

本当に遠いところまで来た。

 

急に、この銭湯にいることが怖くなって、すぐに脱衣所を出て、玄関のソファに座る。

 

別に、刺青している人全員が悪い人じゃないのは分かっている。

 

外で降る雨の音がさっきよりも強くなっていた。

夜行バスに備えて、スマートフォンの充電をさせてもらう。

ハサミを借りて、先ほど買ったサンダルのタグを切る。

 

テレビからは、台風21号を実況するアナウンサーの高鳴る声が聞こえてきた。

台風21号、とんでもない速度で北上していて、深夜には、台風の暴風を表す円が札幌を捉えていた。

 

少しくつろいだ後、銭湯をあとにする。

雨は、銭湯に入る前より弱くなっていた。

 

まだもう少し時間があったので、札幌駅の地下道に見つけたふかふかの椅子に座り、しばし仮眠をとる。

↑椅子からの風景。徐々に電気が消えていく。

 

時間通りにバスは来て、夜行バスに乗り込む。

3列シートの夜行バス。快適だ。

バスに吹き付ける雨風の音は、不安にさせるだけの大きさだった。

 

それでも、歩き疲れた青年はぐっすり眠った。 

道東ろぐ4 〜永遠の水平都市、札幌〜

それは、どこかニューヨークと似ている。

 

想定よりも、早い電車で真駒内を出ることができた。

空港に戻るまでにまだ時間があるので、札幌散策をすることに。

ということで、「札幌 建築」でググる

「都市名 建築」と検索するだけで、たいていは有名建築リストが出てくる。まとめてくれている人、本当にありがとう。

 

真駒内から札幌へは、南北線に乗る。南北線で札幌を超えて北側にちょっと行ったところに有名な建築がある。

アントニン・レーモンドの協会建築「聖ミカエル協会」だ。

実は、現在の僕とアントニン・レーモンドは深い関係がある。詳しくは書かないが、そういう理由で行ってみることにした。

 

南北線北18条駅で降りる。

南北線の駅名は、さっぽろ駅から北側に入った途端に、「北◯◯条」という無味乾燥な名前になる。北に行くほど数字が大きくなる。

 

グーグルマップ上で見ていると、近いと思われる2地点が、実はめちゃくちゃ遠いというトラップ、ぼくはよく引っかかる。というかこれはトラップですらない。別に誰も仕掛けていない。自分で勘違いしているだけだが、今回もこのトラップにやられた。気づくのはいつも歩き始めてからだ。

 

そして、15分ほど歩いてやっと到着する。

↑おもしろいかたちをしている。あの模様はステンドグラスだろうか。

↑ワクワクして、正面に回るとなんと、、、工事中で入れない。

↑非常に気になる。中は木造のようで、部材を取り替えているのだろうか。せっかく歩いたのに…。滞在時間30秒で協会をあとにする。

 

結局歩いただけなので、時間はまだ余っている。この協会、北18条以外に最寄り駅がもう一つあるが、そちらもとても遠い。なので、そのまま札幌駅まで歩くことにした。

 

一本南の道路に移るたびに、「北◯◯条」の数字が減っていく。

札幌は、どこまでも水平に続くまちのようだ。

それは、どこかニューヨークと似ている。

ストリートとアベニューが、数字を変えながら永遠に続いていく。

札幌の歴史について、あまり知らないが、屯田兵の入植地だとしたら、入植地であるニューヨークと都市の構造が似通っているのも納得する(札幌の歴史勉強します)。

↑歩いている時に、やけに目に付いた集合住宅の階段の構造。こんなのあまり東京では見ない。中廊下っぽくすることで、雪対策にでもなるのだろうか。

↑歩くこと25分、札幌駅に到着。

 

すぐにエアポート急行に乗り、新千歳空港へ。

空港で飛行機の時刻表をみると、なんと欠航が多い。台風21号の影響のようだ。始発の飛行機で来て良かった。

と、安堵して、釧路への飛行機のフライト情報をみると、なんと「天候調査中」。

 

もしかして飛ばない…。

ドキドキして、出発ゲートで待つ。

どうやら、霧がすごくて視界が悪いらしい。

そんだけかい!と思ったが、結局欠航となった。

天候による欠航の場合、航空会社は宿泊料や交通費などを出すことはない。

 

青年は、肩を落として空港のロビーの椅子でこれからの旅程を考え直した。

道東ろぐ3 〜五輪の遺産都市!?真駒内〜

初めての土地だからこそ、移動の中でまちを体感する

 

墓参バスに乗って、真駒内駅に戻った。

 

「北海道 建築」でググると、真駒内の有名建築として、頭大仏以外にもう一つヒットした。

それは、六花亭真駒内六花亭ホール店である。

場所は、真駒内駅から約1km歩いたところにある。

www.google.co.jp

 

設計は、古市徹雄氏。

正直なところ、古市さんについてあまり知らなかった(ので今調べたところ)。

なんと、早稲田大学建築学科卒業ということで、直属の先輩であった。

そして、丹下健三の事務所で働いている。

 

ともかく、名建築として揚がっているので見に行くことにした。

建築を目的に歩いたが、どちらかといえば、真駒内というまちの方が面白いことに気づいた。

 

真駒内には、団地が多く見られ、その多くは道営団地だという。

もともと、戦後に連合国軍のキャンプ地として接収された。その土地が返還されて、団地や1972札幌オリンピック会場の造成が行われた。

まちをあるくと、五輪という文字やエンブレムが目に入る。なんだか、時が止まってしまった場所のように感じたが、人は多く住んでいる地区のようだ。

 

↑駅の正面。駅のデザインもメタボリズム感がある。

↑駅前の時計塔には、五輪のエンブレムが!

↑大通りを進むと右手に現れる団地。デザインがかっこいい。これもまたメタボリズム感がある。

↑この建物の裏には、五輪のエンブレムが刻まれている。

↑その隣にも団地

↑「五輪団地」という遺産感溢れる名前。

 

↑個人的に、心地いいと思った団地。

↑一つの建物とは思えない景観。本当は、繋がっている。

↑グランドレベルのアーチがかわいい。雪国には、ピロティは必要不可欠な要素なのだろう。

↑内部空間

↑時々天井の高い部分があり、そこは天井がオレンジ色に塗られている。白と灰色の雪国の冬にはいいさし色なのかもしれない。

↑団地ベランダ側の風景。こちらもよい。

↑そうこうして15分ほど歩くと、六花亭の看板が出てくる。ちなみに、知らない人はいないだろうが、六花亭といえば、バターサンドで有名な老舗お菓子屋だ。

www.rokkatei.co.jp

 

六花亭ホールということで、大きい。

↑正面玄関。犬もいる。

↑建物に入ると、奥には螺旋階段がシャープに上る。

↑入って右側が店舗。店舗はホール空間にある。奥が舞台である。

↑入り口上には、2階席のようなものが。

↑天井は普通の天井ではなく、まさにホールの天井。

↑ガラス面には、奥行きのある木のルーバーがしつらえてある。ホールとして利用される時は、このルーバーが閉じるという。

↑店舗の反対側には、カフェが併設されている。

 

木のルーバーの奥行きがあるため、光が柔らかく室内に入射していた。店舗の家具は、全て可動式で、ホールとしての利用が前提となっていて、天井、壁のホール設備と相まって、とても仮設的な空間であった。本業であるお菓子販売が仮設で、ホールとしての利用が本設の空間として作られている点はおもしろい。

 

ということで、古市さんの建築と、真駒内のまちをよく見ることができた。

 

旅行に来ると、つい遠くても歩きまくってしまう。

それは、初めての土地だからこそ、移動の中でまちを体感することができるという利点があるのだけど、やはり疲れる。

 

青年は、真駒内をあとにする。六花亭で購入した月うさぎの模様の饅頭を食べて、札幌駅へ戻る。

↑美味でした!

道東ろぐ2 〜尻を隠して頭隠さず大仏さまin札幌〜

台風21号が迫る中、無事に飛行機は羽田を飛んで、経由地の新千歳空港に到着した。

 

ここから、釧路への飛行機に乗り換える。釧路への飛行機は夕方発であり時間があったから、ぼくは札幌市内を観光することにした。

 

地震が襲う2日前の出来事である。

 

個人的な話だが(と断る必要もないくらいこのブログは個人的な話しかしていない、いやブログとはそういうものだ)、以前北海道に来たのは、10年以上前の出来事だ。家族でトマムリゾートへ行った一回だ。だから、札幌市を訪れるのは初めてであった。

 

見たいのは、建築と都市

滞在時間も少ないから、とことん目的を絞ることにしていた。

 

「欲張らない」

インドで学んだ哲学は、ぼくの中で生きている。

 

目的は、真駒内滝野霊園にある安藤忠雄設計の頭大仏殿。

頭大仏殿(Hill of the Buddha) | 真駒内滝野霊園 【公式】

​↑頭大仏のロゴ。

 

 時間が余ったら、札幌市内を歩き回ることに決めた。

 

真駒内滝野霊園までのアクセスは、公式HPで詳しく書いているのでそちらを参照すればいいが、さっぽろ駅から市営地下鉄に乗り、南北線の南の終点真駒内駅まで行きそこからバスで向かう。

交通アクセス | 真駒内滝野霊園 【公式】

 

新千歳空港

↓ JRエアポートライナー

札幌

↓ 地下鉄南北線

真駒内

↓ バス(墓参バスなら無料!)

真駒内滝野霊園

 

 真駒内駅から真駒内滝野霊園までのバスは、普通の路線バスでお金を払って行く方法の他に、墓参バスという無料バスを利用することもできる。墓参バスは、本数が極端に少ないため基本的には有料バスに乗ることになると思うが、ぼくは午前中に行ったことで行きも帰りも墓参バスに乗ることができた。

 

↑墓参バスの時刻表。ぼくは、10:10発に乗り、11:30発で戻った。見学時間としては充分だった。

 

以下、写真とともにお伝え。

 

↑墓参バスは、3番のりばから出る。墓参バスといっても普通の市営バスと同じ見た目。ぼくよりあとに乗ってきた学生と思われる3人組の男子たちは、これが霊園に行くのかそわそわしていた。すると、運転手が「どこに行きたいの?」と聞く。学生たちは「これであってました。」と答えたが、運転手はさらに「どこに行きたいの?」と詰め寄る。学生が懲りて「霊園です。」と言ったら、運転手さんは「このバスじゃなくて、2番のりばにくるバスの方が近くに行くよ。」と伝えていた。確かに、路線バスの方が、近くに行くけど、無料バスでも相当近くまで行くことはこの記事を見ればわかるでしょう。

 

↑20分ほど走って、霊園に到着。霊園の門をくぐってすぐの「モアイ像前」で下車。33体のモアイ像が並んでいる。なんだここは…。

↑整列するモアイ像。

↑バス停からは、もう頭大仏が見えている。非常に広大なランドスケープ

↑正面

↑水庭。ビシッとした幾何学配置。荘厳さと美しさと。

↑丘の下のトンネルを進む。

↑現れる巨大な大仏。

 

大量のコンクリートで地形を作り出し、作り出した丘にはラベンダーが植えられ、夏の一時期は紫色に彩られる。安藤忠雄らしい線対称の幾何学的配置は非常に美しく、その場に立って圧倒される。軸の強い構成は、施設の宗教性と相まう。コンクリートの表情の作り方に特徴があり、光の当たり方によって刻一刻と表情が変わっていく。コンクリートの表面の凹凸は、石像の大仏の袈裟のそれの柔らかい曲線を強調しているようだった。これまで訪れた安藤忠雄の建築と同様に、頭大仏のコンクリートは、とても綺麗であったが、一方で異種のコンクリート、土木的なコンクリートが見られた。素材の質感が、この建築、ランドスケープの規模の大きさを象徴しているように思えた。

↑水庭の両側には、円形の平面の建築が立っている。一方はカフェで、もう一方は施工時の写真が展示されている。

↑水庭

↑トンネルの天井のコンクリートの表情。

↑斜め後ろから大仏

↑後ろから大仏。コンクリートのギザギザと、石像(大仏)の柔らかな線。

↑大仏の周囲。

↑見上げる。

↑左側が土木的コンクリート。右側がいつもの安藤忠雄の綺麗なコンクリート

 

とにかく巨大で、コンクリート使いすぎではないかと。

施主さんがどれだけお金持っているのか。

人口減少していく社会では、霊園にこそお金が集まり、有名建築が全国の霊園にできてくるのかもしれない。

 

空間体験として、非常に良いランドスケープだった。

 

最後に、真駒内滝野霊園という場所が結構ぶっ飛んでいる印象を受けた。頭大仏の周囲を少し散策した時の写真をのせておく。

 

↑ストーンヘッジが!これは飾り物ではなく、実際に使われているお墓であった。

↑モアイ像の横には、仏像が鎮座し、その横にアジアのどこかで用いられている何かが立っていた。

 

青年は、墓参バスに乗り込み、頭大仏をあとにする。 

道東ろぐ1 〜旅の始まりはいつも急だ〜 ​

いや、「最悪」の始まり、だったのかもしれない。

 

旅の始まりはいつも急だ。

 

会社の制度で支給される夏休みを、土日を繋げてできるだけ長く旅に出れるように押さえた。

 

約1週間の夏休みである。

 

ぼくは、どちらかというと、いや、かなり夏が好きだ。

 

 ↑写真フォルダから探した今年の「夏」っぽい写真

 

真っ白の日差しは、もちろん暑いけど、ぼくを元気にする。

身軽な服装は、ぼくがどこまでも遠くに行くことをあり得る世界にしてくれる。

 

だから、夏は最大限遠くに行きたくなる。

 

でも、パスポートはない。

何故ならインドに置いてきたから(詳細は、以下インドろぐ参照)。 

urlog.hatenablog.jp

 

 

パスポートがないから、行き先は国内に絞られる。

日本で一番遠い場所。

 

沖縄、小笠原、北海道。

 

冬は寒くて行くことがないだろう北海道を目的地にすることにした。

 

そして、中でも一番遠いであろう知床を目的地とした。

 

もちろん遠いだけが理由じゃない。知床を見て見たかった。

 

そんなことを思っていると、いつのまにか旅は1週間後に迫っていた。

 

女満別空港から行くのか、釧路空港から行くのか。

直通便か、それとも新千歳空港経由か。

 

こんなことも結局は前日に決めた。

 

旅の始まりはいつも急だ。

 

ぼくにとっては、これがいつも通りになっている。

 

だから、そんなことはなんとでもなればよかった。

家から1歩外に出てしまえば、あとは進むがままで進んでいく。

何事もスタートを切ってしまえば、ほとんどの大仕事が終わったようなものだ。

 

ただひとつだけ、いつも通りではないことが旅の始まりに起きていた。

 

それは、台風21号だ。

www.bbc.com

 

家にテレビがない生活をしているから、直前まで台風21号が今年一の台風だなんて聞いたことも見たこともなかったけど、まさにこいつと追いかけっこになる日程だった。

 

最悪の始まりだった。

 

いや、「最悪」の始まり、だったのかもしれない。

 

ぼくは台風から逃げるように、始発の電車に乗り込み、始発の飛行機に乗って北海道へ飛んだ。

 

青年は経由地である新千歳空港へ向かった。