「顔がインド人っぽい。」
小学生の時に言われたいくつかのショックな言葉のうちのひとつである。
確かに、僕は顔が濃い。
鼻が高くて、少し彫りがある。
そして、なによりも、天パである。
日本の小学生のほとんどは、インドなんか行ったことない。
なのに、ほとんど全員がインドを知っている。
きっと彼らはラオスを知らないし、カンボジアも知らないだろう。
でも、インドは知っている。
東アジアを除いたアジアの代表は、インドなのだ。
どういう教育を受けたらそうなるのかは甚だ疑問ではあるが、ここに論理などない。
そして、僕みたいに、ルシウス・モデストゥスの言う「平たい顔族」とは少し異なる風貌の少年は、決まってインド人と言われる。
それが、僕とインドの因縁のはじまりだ。
その後、中学、高校と歳を重ねると、日本人離れした風貌は、キャラとなる。
そして、僕と同じように歳を重ねる周りの人間も、徐々にインド以外の国名を覚えていく。
いや、覚えていくだけじゃない。
インド
じゃ、物足りなくなるのだろう。
インドでは、もはや新鮮味もないし、笑えない。
そして、いつしか、自分から「インド出身なんですよー。」なんて冗談を言ったりして、僕はインドと共闘関係を結ぶ仲にまでなった。
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大学に入ってから、海外の国をバックパック一個で周ることが趣味になった。
アメリカ、中国、東南アジア、ヨーロッパ、実に様々な国を訪れた。
でも行ける国は限られる。なぜなら、時間は永遠ではない。(お金もまたそうである。)
「学生生活が終わろうとしている今、俺はインドに行かなくていいのか。」
そんなことを考え始めるようになる。
すると、不思議なことに、論文で忙しい合間に見るテレビでは、インド特集がやたら多い。
「おい、インド、お前、、、おれを呼んでいるのか?」
インドはぼくを呼んでいた。
今回の旅は、24年間、出自とは全く関係のない国であるインドという影に付きまとわれた一人の日本人青年のケリをつける旅なのである。
2018年2月中旬、ギリギリまで悩んで、約1週間後のインド行きの往復チケットを購入する。(ここで、片道チケットを買えるほどの度胸はあいにく持ち合わせていない……)
青年は、バックパックひとつを背負って、インドへ旅立った。