記ろぐ3 〜あの時辞めなかった人〜
かっこよくて、面白くて、好きで始めたサッカーをいつの間にか嫌いになっていた。
まだ今日の出来事だ。
今朝2:50にルームメイトがリビングのあかりをつけて、テレビがない代わりに、iPadにNHKのアプリで、これまでの試合とは色も雰囲気も異なる夜のサッカースタジアムを映していた。
そのあかりと遠いロシアのスタジアムの甲高い音で目覚めた僕は、寝過ごしていないことを確認して一安心するとともに、2段ベッドのはしごをまるで寝起きとは思えないスピードで急いで降りてリビングの椅子についた。
まもなく審判の笛が世界中に響く。
テレビがなくてもワールドカップが観れる時代には感謝しかない。
日本語の実況が聞きたくて、iPhoneでラジオを流して、動画との間に生じる僅かな時間差を一生懸命調整して、僕らは試合にのめり込んだ。
試合終了の笛は、会場の歓声に押し流されてほとんど聞こえなかった。
ルームメイトと二人して飛び上がるくらいに喜んだ瞬間も、試合が終わった時には嘘みたいに消えてなくなっていた。
試合の顛末の詳細をここに書くことにほとんど意味はない。
今朝のあの試合は、やはりサッカーは面白くて、かっこいいという子供のころに抱いた無垢な想いを思い出させてくれた。
アディショナルタイム(いつからロスタイムと言わなくなったのだろう)の劇的な展開に呆然としつつも、早朝の部屋に響く「惜敗」「よくやった、サムライブルー」というアナウンサーの声は台本通りのセリフのようで、どこかで聞いた覚えのある言葉ばかりだった。2点先制した時点でこんな未来が見えていた気がしなくもない。日本と世界の壁の大きさを忘れていなかった気でいたのに、なんて、これも毎度思うことのひとつだ。
試合の顛末を書くのは避けても、このなんでもないブログに記しておきたいことがある。それは、試合終盤で途中出場した本田圭佑について。
8年前のワールドカップで決めた無回転シュートは、まだ多くの人の脳裏に鮮明に刻まれているであろう。その後、ビッククラブへの移籍など華々しいキャリアを積んだ彼も、今大会はそのピークを超えたことを「プロフェッショナル」のインタビューで答えていた。
華々しいキャリアとのギャップで、余計に叩かれやすい立場に身を置きながらも、ポジティブなメンタルと高い志で常に前へ進む姿勢に僕はとてつもなく影響を受けた一人だ。
もちろん、今大会でもこれまでの本田に勝ることのないプレーが目立ち、叩かれる立場に置かれることもあった。でも、今朝の試合で本田圭佑はやっぱり本田圭佑であることを僕はこの目で見て感じることができた。
2点の先制を追いつかれ、精神的にも肉体的にも疲弊した日本代表は、ミスが目立ちほとんどボールを繋げていなかった。それは素人の目からみてもあきらかだった。
途中交代の本田は、執拗に足元にボールを置いて、パスを遅らせているようにも見えたが、彼の狙いは、「本田圭佑が落ち着いてボールをキープできる」ということをチームメイトに見せることで、チーム全体でボールを回すという基本的なことに対する自信を再びチームに気付いて欲しかったのではないかと思う。そういう意味で彼は自分の役割を理解して、途中出場という役割を果たしていた。彼の言葉で言えば、「イメージができていた」ということだろう。
最後のフリーキックも、8年前を彷彿とさせる軌道を描いた。あの場面であのクオリティのシュートを打つということを簡単にやってのけた本田圭佑。やはり本田圭佑はここにいた。当たり前だけど、ここまでずっと努力して成長し続けてきたサッカー選手の背中に、僕の目頭は熱くなった。
その後の彼のコーナーキックを僕は責めることはできない。
延長戦が見えたことへの油断が全てを無に帰したことは明らかだろう。土壇場の強さというのは、気持ち、想像力、集中力、いずれが欠けてもいけない、そのメンタリティは反省して克服する必要がある。
こうして、僕のワールドカップは終わった。
もちろん僕だけのものじゃないけど、自分ごととして捉えてしまうくらい、のめりこませてくれるのがワールドカップというものだ。
見るはずだった、30分間の延長戦。
もう見ることはできない、日本代表現チームのサッカー。
開けることすら忘れていたカーテンを開けると、外はもう明るい。
夏はいつも、いつの間にか始まっている。
「走るのあるね」
「えっ」
早朝の東京を見てみたくなった。
せめて今日を良い1日にしよう。そう思って、ルームメイトと二人で早朝の東京へ部屋を出た。
夏の朝の香りがする。
学生時代、建築学科の課題で貫徹することは珍しくなかったから、この空気の肌感は、どちらかといえば、なつかしい。
ぼんやりとする生ぬるさと、食べ物が腐りかけている臭いが少々。
天気は快晴。
走り始めて10分ほどして汗がじわっと生まれる。
早朝に走ったのは、いつぶりだろうか。
街路樹の木漏れ日と、徐々に上がる気温は、中学時代のサッカー部の夏合宿の朝練を思い起こさせる。
夏合宿恒例の朝練。合宿所の坂道をダッシュで駆け上がる朝練を、僕は嫌いだった。
かっこよくて、面白くて、好きで始めたサッカーをいつの間にか嫌いになっていた。
強くなるために、ほとんど毎日同じ練習メニューを繰り返す。
部活の時間以外にもランニングを欠かさず行う。
それでも、上手い人はいっぱいいて、自分はだめなんじゃないかと感じる。
自分が頑張る意味はあるのかと、弱い心は容赦なく膨らむ。
面白いが辛いに変わり、辛いが嫌いに変わる。
高校1年生の夏合宿の前に、僕はサッカー部を去った。
きっと更なる辛い練習が待ち受けているだろう夏合宿を前に、僕はサッカー部を去った。
今朝iPadの中で見た、勝つことを信じて世界3位の相手に臆することなく立ち向かった23人の日本代表選手は、サッカーを辞めずにずっと続けてきた人たちだ。
辞めたいと思うくらい辛いことがなかったわけじゃないはずで、逃げたいと思うくらい辛いことがなかったわけじゃないだろう。
どんな時も諦めず、夢を持ち続けて進んできた23人だけが世界のピッチに立つことができているのだ。
もうそれだけで充分ではないだろうか。
少なくとも僕は、そう思う。
感動的な試合を本当にありがとう。