道東ろぐ6 〜運休の嵐〜
信号の赤と緑と、シマシマの道路は奇妙に映った。
急に目が覚める。
相変わらず、バスの車内にぼくはいる。
びっちりと閉まったカーテンをかき分けて、やっとの思いでできた小さな隙間から外の光が入る。窓の外には、灰色の世界が広がっていた。
なんともいえない気持ちになって、カーテンを締める。
前のシートの背中についているネットの中に放り込んだスマートフォンを、取り出して時間を確認すると、午前4時30分。
あと40分ほどで着く。
もう一度、眠りにつこうとしたけど、もう数十分前のぼくには戻れない。
どうやらぼくの身体は、バスのシートでぐっすり寝ていられる制限時間が決まっているみたいだ。
でも大丈夫。
スマートフォンをいじっていれば、時間は一瞬で過ぎ去る。
午前5時過ぎ、釧路駅前に到着した。
少し、雨が降っている。
濡れてしまうから、急いで駅へ向かうが、信号に捕まる。
立ち止まって改めて周りを見る。灰色をバックに、四角い建物と、とんがった協会が目に入る。
信号の赤と緑と、シマシマの道路は奇妙に映った。
駅へ着く。まずは、トイレで用をたす。
駅の中の店はもちろんひとつもやっていない。
セブンイレブンだけは、開店の準備をしていた。
待合室に入って、これからの予定を立てる。釧路湿原に行くことしか決まっていない。まずは、今夜の宿を取らなければ。
一人旅に来ている時は、ユースホステルやゲストハウスなどの安い宿に泊まることにしている。それらは、安いだけじゃなく、場所によってはおしゃれなホテルが多い。
ただ、この日は泊まろうと思っていたユースホステルは満席だった。どうしようかと悩みつつ、ネットサーフィンをしていると、過去の道東旅について書かれているサイトを発見。
これによれば、阿寒バスセンター宿泊部という安い宿があるみたいだ。阿寒湖は高いホテルばかりだったので助かった。
すぐに電話をかけると、予約が取れた。
素泊まり、4000円。安い。
そして、電車を確認しようと思い、釧路駅の改札へ行くと、なんだか騒がしいアナウンスが流れている。
声が割れて、アナウンスの声がほとんど聞こえないが謝っているのだけは分かった。
電光掲示板を見ると、なんと、、、、、、、。
運休だ。
台風の影響で、線路上に樹木などが倒れていないか確認するためだという。
午後から電車は動くと言われた。
釧路湿原は諦めるしかなかった。
もしかすると、バスが動かない可能性もある…!と思って、駅員に聞くと、バスセンターの場所を教えてくれた。
駅からすぐのところにあるバスセンターへ向かった。
↑改めて釧路駅の周辺を見ると、廃墟のような建物ばかり。
バスセンターで、阿寒湖までのバスを運行している阿寒バスのカウンターに行くが、まだ誰もいない。
7時頃におばさんが出てきたので、聞くと今のところ運休の予定はないとのことで安心した。
阿寒湖行きのバスの時間を確認して、今日は釧路市内を観光することにした。
釧路は、建築家の毛綱毅曠の出身地であり、彼の建築がたくさんある。
青年は、灰色の街に出かけた。
道東ろぐ5 〜嵐の夜に、刺青のおじさんと風呂に入る〜
なんだか遠いところまで来たなあと改めて思う。
飛行機が欠航になると、ゲートで待っていた客は一度集められ、係員に誘導されて到着ロビーへと一列で向かうことになる。
ちょうど今朝見た到着ロビーの風景をまた見ることとなるとは。
空いているベンチに座り、これからのことを考える。
明日の便にすることも可能かもしれないが、台風21号は明日の朝札幌に直撃する。
そう考えると、明日まで待って乗れないというのは、非常に悲しい。
新幹線で行くという手段もあるが、今から出発すると、釧路に着くのは0時前。向こうについてただ寝るだけになる。
以上を鑑みると、最適解として夜行バスが浮上した。
夜行バスなんて、もうずいぶん乗っていない。
学部の卒業論文で山形に通っていた時以来かもしれない。
社会人にまでなって、夜行バスという選択をする人はなかなかいないかもしれない。
貧乏旅癖がまだ体に染みついているぼくにとっては、当然の選択肢。
コストと時間を考えて、夜行バスに決めた。
予約していたゲストハウスに電話して、行けなくなった旨を伝えるとあっさり承諾される。もちろんキャンセル料は免除してくれた。
夜行バスは、札幌駅を23時頃出発の予定なので、それまで札幌駅周辺を再び観光することにした。
本日3回目のエアポート急行に乗り込み札幌へ。
ずいぶん暗くなってきた。
札幌駅の南側を歩くことにした。
南側は、北側に比べるとずいぶん賑わっていた。
↑南口駅前広場。博多駅のそれと近しい。
夜ご飯に回転寿しを食べようと思い、その店まで南下していく。
↑東京駅前のような並木道と赤煉瓦の建物。
↑有名な札幌テレビ塔
もう朝から歩き疲れたぼくは、まっすぐ回転寿し屋を目指した。
↑回転寿しぱさーる。地元の人行きつけの安い回転寿し、とグーグル先生が言っていた。
↑赤身。プリプリで濃厚。もう東京の安い居酒屋の刺身は食べられないだろう。
こうして幸せな寿司を食べ終えたあと、まだ時間があるので、夜行バスに備える買い物をして、銭湯で体を洗うことにした。
銭湯を検索すると札幌駅周辺にいくつかヒットする。綺麗な銭湯から汚い銭湯まで様々だが、昭和ながらの銭湯へ行くことにした。
↑闇夜に浮かび上がる七福湯。怪しく光る看板と薄暗い室内。
入浴料は440円。東京の銭湯より20円安い。
雨がしとしとと降り出していた。
番台のおばちゃんにお金を払って男湯へ。
脱衣所には、二人のおじさんが裸でソファに座り、スマホをいじっている。
ロッカーは小さい。二つ使って、大きな荷物を収納した。
脱衣所自体狭いので、おじさん二人と距離も近く、なんとなく居心地が悪い。
すぐに風呂場へ。
シャンプーやリンスは置いていない。仕方なく、お湯で流して洗った。
浴槽は3つもあり、一つは水風呂。サウナもある。
浴場から脱衣所を見ると、脱衣所のテレビが浴場に顔を向けている。
音声は、テレビとは別の場所にあるスピーカーから流れている。
スピーカーから流れ出る音声以上の大きさで風呂場を流れるお湯の音で、テレビの音声はほとんど聞こえない。
明石家さんまと彼を囲む多くのゲストの笑い声は、かろうじて小さく聞こえる。話している内容は全くわからない。
湯船に浸かる。
いつも家のリビングで見ていた番組だったからか、なんだか遠いところまで来たなあと改めて思う。
ああ、今は一人だ、と。
ここ最近、銭湯に行く時は、交互浴をするようにしていたから、ここでもしてみる。
ただ、七福湯の水風呂は冷たすぎた。そこは北海道水準なのか。
やはり遠いところまで来たようだ。
ゆっくりした後、浴場を出て脱衣所へ。入る前にいた二人のおじさんは、まだソファでスマホをいじっている。聞きなれない単語を交わしていたから、ソーシャルゲームでもやっていたのだろう。盛り上がったり、静まったり。
着替えていると、親子連れが入ってくる。お父さんと子供二人。ソファに座っていたおじさんが慣れた口で子供と会話する。常連さんのようだ。銭湯が地域のコミュニティスペースになっていた。
脱衣所の人数も増えたので、早く着替えて、荷物を整理する。
すると、一人のおじさんが入ってくる。
腕には、バスケット選手が試合中にしている汗を吸い取るカバーのような何かをつけている。
それを脱ぐと、緑と黒の混ざった皮膚が見えた。刺青だった。
思わず目を逸らした。絡まれたら、釧路行けねー。
おじさんはTシャツを脱ぐ。
好奇心に負けて、横目でおじさんを見る。
横目でも確認できるくらいの刺青が全身を埋め尽くす。
はー、札幌。
本当に遠いところまで来た。
急に、この銭湯にいることが怖くなって、すぐに脱衣所を出て、玄関のソファに座る。
別に、刺青している人全員が悪い人じゃないのは分かっている。
外で降る雨の音がさっきよりも強くなっていた。
夜行バスに備えて、スマートフォンの充電をさせてもらう。
ハサミを借りて、先ほど買ったサンダルのタグを切る。
テレビからは、台風21号を実況するアナウンサーの高鳴る声が聞こえてきた。
台風21号、とんでもない速度で北上していて、深夜には、台風の暴風を表す円が札幌を捉えていた。
少しくつろいだ後、銭湯をあとにする。
雨は、銭湯に入る前より弱くなっていた。
まだもう少し時間があったので、札幌駅の地下道に見つけたふかふかの椅子に座り、しばし仮眠をとる。
↑椅子からの風景。徐々に電気が消えていく。
時間通りにバスは来て、夜行バスに乗り込む。
3列シートの夜行バス。快適だ。
バスに吹き付ける雨風の音は、不安にさせるだけの大きさだった。
それでも、歩き疲れた青年はぐっすり眠った。
道東ろぐ4 〜永遠の水平都市、札幌〜
それは、どこかニューヨークと似ている。
想定よりも、早い電車で真駒内を出ることができた。
空港に戻るまでにまだ時間があるので、札幌散策をすることに。
ということで、「札幌 建築」でググる。
「都市名 建築」と検索するだけで、たいていは有名建築リストが出てくる。まとめてくれている人、本当にありがとう。
真駒内から札幌へは、南北線に乗る。南北線で札幌を超えて北側にちょっと行ったところに有名な建築がある。
アントニン・レーモンドの協会建築「聖ミカエル協会」だ。
実は、現在の僕とアントニン・レーモンドは深い関係がある。詳しくは書かないが、そういう理由で行ってみることにした。
南北線の駅名は、さっぽろ駅から北側に入った途端に、「北◯◯条」という無味乾燥な名前になる。北に行くほど数字が大きくなる。
グーグルマップ上で見ていると、近いと思われる2地点が、実はめちゃくちゃ遠いというトラップ、ぼくはよく引っかかる。というかこれはトラップですらない。別に誰も仕掛けていない。自分で勘違いしているだけだが、今回もこのトラップにやられた。気づくのはいつも歩き始めてからだ。
そして、15分ほど歩いてやっと到着する。
↑おもしろいかたちをしている。あの模様はステンドグラスだろうか。
↑ワクワクして、正面に回るとなんと、、、工事中で入れない。
↑非常に気になる。中は木造のようで、部材を取り替えているのだろうか。せっかく歩いたのに…。滞在時間30秒で協会をあとにする。
結局歩いただけなので、時間はまだ余っている。この協会、北18条以外に最寄り駅がもう一つあるが、そちらもとても遠い。なので、そのまま札幌駅まで歩くことにした。
一本南の道路に移るたびに、「北◯◯条」の数字が減っていく。
札幌は、どこまでも水平に続くまちのようだ。
それは、どこかニューヨークと似ている。
ストリートとアベニューが、数字を変えながら永遠に続いていく。
札幌の歴史について、あまり知らないが、屯田兵の入植地だとしたら、入植地であるニューヨークと都市の構造が似通っているのも納得する(札幌の歴史勉強します)。
↑歩いている時に、やけに目に付いた集合住宅の階段の構造。こんなのあまり東京では見ない。中廊下っぽくすることで、雪対策にでもなるのだろうか。
↑歩くこと25分、札幌駅に到着。
空港で飛行機の時刻表をみると、なんと欠航が多い。台風21号の影響のようだ。始発の飛行機で来て良かった。
と、安堵して、釧路への飛行機のフライト情報をみると、なんと「天候調査中」。
もしかして飛ばない…。
ドキドキして、出発ゲートで待つ。
どうやら、霧がすごくて視界が悪いらしい。
そんだけかい!と思ったが、結局欠航となった。
天候による欠航の場合、航空会社は宿泊料や交通費などを出すことはない。
青年は、肩を落として空港のロビーの椅子でこれからの旅程を考え直した。
道東ろぐ3 〜五輪の遺産都市!?真駒内〜
初めての土地だからこそ、移動の中でまちを体感する
墓参バスに乗って、真駒内駅に戻った。
「北海道 建築」でググると、真駒内の有名建築として、頭大仏以外にもう一つヒットした。
場所は、真駒内駅から約1km歩いたところにある。
設計は、古市徹雄氏。
正直なところ、古市さんについてあまり知らなかった(ので今調べたところ)。
なんと、早稲田大学建築学科卒業ということで、直属の先輩であった。
そして、丹下健三の事務所で働いている。
ともかく、名建築として揚がっているので見に行くことにした。
建築を目的に歩いたが、どちらかといえば、真駒内というまちの方が面白いことに気づいた。
もともと、戦後に連合国軍のキャンプ地として接収された。その土地が返還されて、団地や1972札幌オリンピック会場の造成が行われた。
まちをあるくと、五輪という文字やエンブレムが目に入る。なんだか、時が止まってしまった場所のように感じたが、人は多く住んでいる地区のようだ。
↑駅の正面。駅のデザインもメタボリズム感がある。
↑駅前の時計塔には、五輪のエンブレムが!
↑大通りを進むと右手に現れる団地。デザインがかっこいい。これもまたメタボリズム感がある。
↑この建物の裏には、五輪のエンブレムが刻まれている。
↑その隣にも団地
↑「五輪団地」という遺産感溢れる名前。
↑個人的に、心地いいと思った団地。
↑一つの建物とは思えない景観。本当は、繋がっている。
↑グランドレベルのアーチがかわいい。雪国には、ピロティは必要不可欠な要素なのだろう。
↑内部空間
↑時々天井の高い部分があり、そこは天井がオレンジ色に塗られている。白と灰色の雪国の冬にはいいさし色なのかもしれない。
↑団地ベランダ側の風景。こちらもよい。
↑そうこうして15分ほど歩くと、六花亭の看板が出てくる。ちなみに、知らない人はいないだろうが、六花亭といえば、バターサンドで有名な老舗お菓子屋だ。
↑六花亭ホールということで、大きい。
↑正面玄関。犬もいる。
↑建物に入ると、奥には螺旋階段がシャープに上る。
↑入って右側が店舗。店舗はホール空間にある。奥が舞台である。
↑入り口上には、2階席のようなものが。
↑天井は普通の天井ではなく、まさにホールの天井。
↑ガラス面には、奥行きのある木のルーバーがしつらえてある。ホールとして利用される時は、このルーバーが閉じるという。
↑店舗の反対側には、カフェが併設されている。
木のルーバーの奥行きがあるため、光が柔らかく室内に入射していた。店舗の家具は、全て可動式で、ホールとしての利用が前提となっていて、天井、壁のホール設備と相まって、とても仮設的な空間であった。本業であるお菓子販売が仮設で、ホールとしての利用が本設の空間として作られている点はおもしろい。
ということで、古市さんの建築と、真駒内のまちをよく見ることができた。
旅行に来ると、つい遠くても歩きまくってしまう。
それは、初めての土地だからこそ、移動の中でまちを体感することができるという利点があるのだけど、やはり疲れる。
青年は、真駒内をあとにする。六花亭で購入した月うさぎの模様の饅頭を食べて、札幌駅へ戻る。
↑美味でした!
道東ろぐ2 〜尻を隠して頭隠さず大仏さまin札幌〜
台風21号が迫る中、無事に飛行機は羽田を飛んで、経由地の新千歳空港に到着した。
ここから、釧路への飛行機に乗り換える。釧路への飛行機は夕方発であり時間があったから、ぼくは札幌市内を観光することにした。
大地震が襲う2日前の出来事である。
個人的な話だが(と断る必要もないくらいこのブログは個人的な話しかしていない、いやブログとはそういうものだ)、以前北海道に来たのは、10年以上前の出来事だ。家族でトマムリゾートへ行った一回だ。だから、札幌市を訪れるのは初めてであった。
見たいのは、建築と都市。
滞在時間も少ないから、とことん目的を絞ることにしていた。
「欲張らない」
インドで学んだ哲学は、ぼくの中で生きている。
頭大仏殿(Hill of the Buddha) | 真駒内滝野霊園 【公式】
時間が余ったら、札幌市内を歩き回ることに決めた。
真駒内滝野霊園までのアクセスは、公式HPで詳しく書いているのでそちらを参照すればいいが、さっぽろ駅から市営地下鉄に乗り、南北線の南の終点真駒内駅まで行きそこからバスで向かう。
↓ JRエアポートライナー
札幌
↓ 地下鉄南北線
↓ バス(墓参バスなら無料!)
真駒内滝野霊園
真駒内駅から真駒内滝野霊園までのバスは、普通の路線バスでお金を払って行く方法の他に、墓参バスという無料バスを利用することもできる。墓参バスは、本数が極端に少ないため基本的には有料バスに乗ることになると思うが、ぼくは午前中に行ったことで行きも帰りも墓参バスに乗ることができた。
↑墓参バスの時刻表。ぼくは、10:10発に乗り、11:30発で戻った。見学時間としては充分だった。
以下、写真とともにお伝え。
↑墓参バスは、3番のりばから出る。墓参バスといっても普通の市営バスと同じ見た目。ぼくよりあとに乗ってきた学生と思われる3人組の男子たちは、これが霊園に行くのかそわそわしていた。すると、運転手が「どこに行きたいの?」と聞く。学生たちは「これであってました。」と答えたが、運転手はさらに「どこに行きたいの?」と詰め寄る。学生が懲りて「霊園です。」と言ったら、運転手さんは「このバスじゃなくて、2番のりばにくるバスの方が近くに行くよ。」と伝えていた。確かに、路線バスの方が、近くに行くけど、無料バスでも相当近くまで行くことはこの記事を見ればわかるでしょう。
↑20分ほど走って、霊園に到着。霊園の門をくぐってすぐの「モアイ像前」で下車。33体のモアイ像が並んでいる。なんだここは…。
↑整列するモアイ像。
↑バス停からは、もう頭大仏が見えている。非常に広大なランドスケープ。
↑正面
↑水庭。ビシッとした幾何学配置。荘厳さと美しさと。
↑丘の下のトンネルを進む。
↑現れる巨大な大仏。
大量のコンクリートで地形を作り出し、作り出した丘にはラベンダーが植えられ、夏の一時期は紫色に彩られる。安藤忠雄らしい線対称の幾何学的配置は非常に美しく、その場に立って圧倒される。軸の強い構成は、施設の宗教性と相まう。コンクリートの表情の作り方に特徴があり、光の当たり方によって刻一刻と表情が変わっていく。コンクリートの表面の凹凸は、石像の大仏の袈裟のそれの柔らかい曲線を強調しているようだった。これまで訪れた安藤忠雄の建築と同様に、頭大仏のコンクリートは、とても綺麗であったが、一方で異種のコンクリート、土木的なコンクリートが見られた。素材の質感が、この建築、ランドスケープの規模の大きさを象徴しているように思えた。
↑水庭の両側には、円形の平面の建築が立っている。一方はカフェで、もう一方は施工時の写真が展示されている。
↑水庭
↑トンネルの天井のコンクリートの表情。
↑斜め後ろから大仏
↑後ろから大仏。コンクリートのギザギザと、石像(大仏)の柔らかな線。
↑大仏の周囲。
↑見上げる。
↑左側が土木的コンクリート。右側がいつもの安藤忠雄の綺麗なコンクリート。
とにかく巨大で、コンクリート使いすぎではないかと。
施主さんがどれだけお金持っているのか。
人口減少していく社会では、霊園にこそお金が集まり、有名建築が全国の霊園にできてくるのかもしれない。
空間体験として、非常に良いランドスケープだった。
最後に、真駒内滝野霊園という場所が結構ぶっ飛んでいる印象を受けた。頭大仏の周囲を少し散策した時の写真をのせておく。
↑ストーンヘッジが!これは飾り物ではなく、実際に使われているお墓であった。
↑モアイ像の横には、仏像が鎮座し、その横にアジアのどこかで用いられている何かが立っていた。
青年は、墓参バスに乗り込み、頭大仏をあとにする。
道東ろぐ1 〜旅の始まりはいつも急だ〜
「最悪」の始まり、だったのかもしれない。
旅の始まりはいつも急だ。
会社の制度で支給される夏期休暇。
土日を挟んでできるだけ長く旅に出れるように日程をおさえた。
約1週間の夏休みである。
ぼくは、どちらかというと、いや、かなり夏という季節が好きだ。
↑写真フォルダから探した今年の「夏」っぽい写真
真っ白の日差しは、もちろん暑いけど、ぼくを元気にする。
身軽な服装は、ぼくがどこまでも遠くに行くことをあり得る世界にしてくれる。
だから、夏は最大限遠くに行きたくなる。
でも、パスポートはない。
何故ならインドに置いてきたから(詳細は、以下インドろぐ参照)。
パスポートがないから、行き先は国内に絞られる。
日本で一番遠い場所。
沖縄、小笠原、北海道。
冬は寒くて行くことがないだろう北海道を目的地にすることにした。
そして、中でも一番遠いであろう知床を目的地とした。
もちろん遠いだけが理由じゃない。知床を見て見たかった。
そんなことを思っていると、いつのまにか旅は1週間後に迫っていた。
女満別空港から行くのか、釧路空港から行くのか。
直通便か、それとも新千歳空港経由か。
こんなことも結局は前日に決めた。
旅の始まりはいつも急だ。
ぼくにとっては、これがいつも通りになっている。
だから、そんなことはなんとでもなればよかった。
家から1歩外に出てしまえば、あとは進むがままで進んでいく。
何事もスタートを切ってしまえば、ほとんどの大仕事が終わったようなものだ。
ただひとつだけ、いつも通りではないことが旅の始まりに起きていた。
それは、台風21号だ。
家にテレビがない生活をしているから、直前まで台風21号が今年一の台風だなんて聞いたことも見たこともなかったけど、まさにこいつと追いかけっこになる日程だった。
最悪の始まりだった。
いや、「最悪」の始まり、だったのかもしれない。
ぼくは台風から逃げるように、始発の電車に乗り込み、始発の飛行機に乗って北海道へ飛んだ。
青年は経由地である新千歳空港へ向かった。
道東ろぐ0 〜今朝ぼくは、阿寒湖にいた〜
夢だと思っていたあれは、夢じゃなかった。
「道東」
この文字が何を表すか知っている人はいるだろうか。
北海道の東の地域を「道東」と呼ぶ。
北海道と聞けば誰しも、ちょうど今朝、千歳を襲った大地震のことをすぐに思い浮かべるだろう。震源の近くであった苫小牧厚真火力発電所がダウンしたため、北海道全域で電力供給が途絶え、停電となった。
今朝ぼくは、阿寒湖にいた。
阿寒湖は、まりもで有名な道東の湖である。
一昨日の晩が夜行バスであったため、昨晩泊まった阿寒湖の宿泊所では疲れ果ててぐっすり眠った。
阿寒湖に着いた黄昏時に、湖畔から見た阿寒湖があまりにも綺麗だったから、早朝の阿寒湖も見てみたいと思い、目覚ましを6時30分に設定した。その時刻よりも、いくらか早く目覚めたぼくは、阿寒湖に行く前に宿泊施設の温泉に入ることにした。
浴室には誰もいなかった。シャワーは蛇口をひねっても出ない。もしかすると入浴時間ではないのかもしれない。仕方なく浴槽のお湯で体を流す。幸いにも、温泉であるから浴槽のお湯は暖かい。
浴槽に浸かっていると、おじさんが浴室に入ってくる。いの一番にシャワーが出ないことを伝えようとしたが、声はかけない。おじさんがシャワーの口を捻ったところで、「シャワー出ないんですよ」と声をかける。「ありゃ、やっぱり停電か。」おじさんの言葉で、シャワーが出ない原因が停電だと知る。「やっぱり」という言葉が引っかかる。
停電でシャワーが出ないという状況で思い出すのは、カンボジアのシェムリアップを訪れた時のことだ。シェムリアップは電力供給が間に合っていないため、しょっちゅう停電になるらしく、ぼくが訪れた時も運悪く停電して、シャワーが使えなかった。
停電直後はお湯が出るが、しばらくすると水しか出なくなり、最終的にシャワーが出なくなる。
日本の地方都市(道東)は、アジアの途上国の都市(シェムリアップ)と同じ水準なのか、と心の中で驚く。
身体を洗い始めたおじさんが、しばらくの沈黙の後に喋り始める。
「嫁さんから、地震大丈夫だったかって連絡来るんだよ。今朝揺れたか?俺は全然気付かなかったよ。」
ああ、そういえば。
おじさんの言葉で思い出す。今朝地震があったことを。
夢だと思っていたあれは、夢じゃなかった。
なんなら結構揺れたと思う。
疲れてたぼくは、少し目を覚ましたけど、すぐに夢の世界へ戻った。夢の中も騒がしかったような気がした。
「札幌はすごいらしい。」
風呂を上がったぼくはスマホですぐにTwitterを開く。トレンドのほとんどを「北海道」の言葉が占める。たくさんの声から只事ではないことを知る。阿寒湖周辺の状況を確認する。千歳から離れた釧路の当たりでも震度4だ。非常に大きい地震だ。
今朝ぼくは、阿寒湖にいた。
この記事を書いているのは釧路から羽田へ向かう飛行機の中であるから、この記事が更新されている頃には自宅にいるだろう。
電気。
地球にいる何万種の動植物の中で唯一、人間だけが電気がないと生きていけない生物である。
そんなことを阿寒湖のまりもに、北海道の大自然に考えさせられた。
インド旅に続く、旅先でのトラブル。
今年のぼくの旅運、本当に笑えない。
おそらく神様は、ブログをそろそろ更新しろとぼくに言っている。
そんな小さな用にしては、あんな大きなことを起こしてくれる。
というわけで、長くなったが、今回の道東旅のろぐをここに残すこととする。