ゆるろぐ -Urbanisme Log-

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都市生活屋のブログ

道東ろぐ0 〜今朝ぼくは、阿寒湖にいた〜 ​

夢だと思っていたあれは、夢じゃなかった。

 

「道東」

 

この文字が何を表すか知っている人はいるだろうか。

 

北海道の東の地域を「道東」と呼ぶ。

 

北海道と聞けば誰しも、ちょうど今朝、千歳を襲った大地震のことをすぐに思い浮かべるだろう。震源の近くであった苫小牧厚真火力発電所がダウンしたため、北海道全域で電力供給が途絶え、停電となった。

 

 

今朝ぼくは、阿寒湖にいた。

阿寒湖は、まりもで有名な道東の湖である。

 

一昨日の晩が夜行バスであったため、昨晩泊まった阿寒湖の宿泊所では疲れ果ててぐっすり眠った。

 

阿寒湖に着いた黄昏時に、湖畔から見た阿寒湖があまりにも綺麗だったから、早朝の阿寒湖も見てみたいと思い、目覚ましを6時30分に設定した。その時刻よりも、いくらか早く目覚めたぼくは、阿寒湖に行く前に宿泊施設の温泉に入ることにした。

 

浴室には誰もいなかった。シャワーは蛇口をひねっても出ない。もしかすると入浴時間ではないのかもしれない。仕方なく浴槽のお湯で体を流す。幸いにも、温泉であるから浴槽のお湯は暖かい。

 

浴槽に浸かっていると、おじさんが浴室に入ってくる。いの一番にシャワーが出ないことを伝えようとしたが、声はかけない。おじさんがシャワーの口を捻ったところで、「シャワー出ないんですよ」と声をかける。「ありゃ、やっぱり停電か。」おじさんの言葉で、シャワーが出ない原因が停電だと知る。「やっぱり」という言葉が引っかかる。

 

停電でシャワーが出ないという状況で思い出すのは、カンボジアシェムリアップを訪れた時のことだ。シェムリアップは電力供給が間に合っていないため、しょっちゅう停電になるらしく、ぼくが訪れた時も運悪く停電して、シャワーが使えなかった。

 

停電直後はお湯が出るが、しばらくすると水しか出なくなり、最終的にシャワーが出なくなる。

 

日本の地方都市(道東)は、アジアの途上国の都市(シェムリアップ)と同じ水準なのか、と心の中で驚く。

 

身体を洗い始めたおじさんが、しばらくの沈黙の後に喋り始める。

 

「嫁さんから、地震大丈夫だったかって連絡来るんだよ。今朝揺れたか?俺は全然気付かなかったよ。」

 

ああ、そういえば。

おじさんの言葉で思い出す。今朝地震があったことを。

 

夢だと思っていたあれは、夢じゃなかった。

 

なんなら結構揺れたと思う。

疲れてたぼくは、少し目を覚ましたけど、すぐに夢の世界へ戻った。夢の中も騒がしかったような気がした。

 

「札幌はすごいらしい。」

 

 

風呂を上がったぼくはスマホですぐにTwitterを開く。トレンドのほとんどを「北海道」の言葉が占める。たくさんの声から只事ではないことを知る。阿寒湖周辺の状況を確認する。千歳から離れた釧路の当たりでも震度4だ。非常に大きい地震だ。

 

 

今朝ぼくは、阿寒湖にいた。

 

この記事を書いているのは釧路から羽田へ向かう飛行機の中であるから、この記事が更新されている頃には自宅にいるだろう。

 

 

電気。

 

地球にいる何万種の動植物の中で唯一、人間だけが電気がないと生きていけない生物である。

 

そんなことを阿寒湖のまりもに、北海道の大自然に考えさせられた。

 

インド旅に続く、旅先でのトラブル。

urlog.hatenablog.jp

 

 

今年のぼくの旅運、本当に笑えない。

 

おそらく神様は、ブログをそろそろ更新しろとぼくに言っている。

そんな小さな用にしては、あんな大きなことを起こしてくれる。

 

というわけで、長くなったが、今回の道東旅のろぐをここに残すこととする。

ブログろぐ5 〜星は消える〜

はっ……星消えた……

 

僕たちが見ている星のうちのいくつかは既に爆発してしまって存在していない。

 


地球から遥か遠くにあるがために、既に存在しない星たちのかつての光が僕たちの目に届いているというのだ。

 


はてなブログの星もまた同じかもしれない。

 


いや、そんなことはない。

 


この書き出しの文章を書くのに、改めて「星がなぜ光るのか」を調べてみた(膨大な量の資料調査をもとに国立天文台ヒアリングを行ったわけではもちろんなく、電車を待つホームでスマホで調べただけである)。

 


ぼくたちが夜空に見る多くの星は自ら光を発する恒星らしい。

 


ぼくは、すべて爆発した光、もう存在しない光を見ているのかと思っていた。

 


恒星は、核融合反応による爆発の光を発しているのだ。

 


この核融合反応は永遠に続くわけではない。

恒星の原料がなくなれば、核融合反応は終わる。

 


太陽だって例外ではない。太陽の寿命は100億年と言われている。

 


つまり、遠い将来夜空の星は消えるという。

 


1日の半分は暗闇に染まるのだ。

 


ここまで書いて初めて、はてなブログの星も夜空の星と変わらない運命を辿ることを指摘することができる。

 


最近は、前よりは多くの人にこのブログが届いているようで、星をつけてくれる人も増えてきた。

 


ありがとう。

 


しかし、より多くの人に届いて欲しいと欲が出るのが人間でありまして、既に公開している本ブログ記事のURLに関連ワードを並べて更新したのでありんす。

 


すると、なんということでしょう(ここで、劇的ビフォーアフターのBGMを挿入)。

 


星が消えてるではありませんか。

 


あれだけほしかった星。

ようやく集まった星が瞬く間に消えてしまったのだ。

 


欲張りはいけない、改めてインド旅の教訓に立ち帰らされた。

 


はてなブログの星は、一度公開した記事のURLを変えるとすべて消えてしまう。

 


儚きかな。

 


この仕様、ぜひブロガーの皆は心に留めておいてほしい。

 


ただ、ここで気付く。

星がつかない記事は、URLを変えたから星が消えてしまったと言い訳も可能だ。

 


この仕様は、ブロガーが光を失わずに長く輝き続けられる仕組みなのかもしれない。

映画ろぐ3 〜しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス〜

Pepole are stupid.

 

画家のモード・ルイスを描いた映画『しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス 』(原題: Maudie)。

 

 

モード・ルイスを演じたのは、『シェイプ・オブ・ウォーター』で主演を演じたSally Hawkins。まるで、本当にモードルイス本人ではないかと思わせる素晴らしい演技だった。

エドモンドを演じたのは、Ethan Green Hawke。こちらも役柄が良く、何よりもかっこよかった。

監督は、アシュリング・ウォルシュ (Aisling Walsh)。もちろん知らなかった。

 

全体として、舞台となったディグビー郡マーシャルタウンの風景が印象的だった。

 ↑地図で検索すると、アメリカ大陸の東の果てだった。

 

のんびりした雰囲気と、時間帯、季節によって豊かな表情を見せる風景、画家の生涯を描く映画として非常に重要な要素は上手く表現されていた。

 

エドモンドの無骨ながら、思いやりを秘めている姿もよかった。

 

全体として感動する映画だった。といって、感想を書こうと思うと難しい。

 

今一度振り返ってみると、印象に残っているのは、風景の美しさや言葉の美しさ、画の美しさだ。

 

風景は先に述べた通り。

 

言葉は、モード・ルイスの言葉と、エンディング曲の歌詞だ。

モードルイスは、「絵筆と窓があれば幸せ」と語っていた。

特に、窓について次のような美しい表現をしていた。

 

窓の外に広がる自然、その生命の輝きを一つのフレームに切り取って見せてくれる。

 

当たり前のようにある窓。

窓が好きな気持ちは同じだけど、ここまで美しい表現は初めてだ。

 

そして、最後のシーンは、エドモンドがドアを閉めて、部屋が暗くなり、窓と窓辺のモードが絵を描いていた机だけが浮かび上がる。とても美しいと思った。

 

エンディングの曲はyoutubeにあがっていた。

www.youtube.com

 

こちらも歌詞が美しい。

 

ブログ冒頭の”People are stupid.”は何度か映画の中で出てくるセリフで、ある時は人と違うことが悪いことのように、ある時には人と同じでいることがおかしいことのように、同じ言葉が違う意味を持って響いていた。

モードとエドモンドが発するからこそ、大事な言葉として響いた。

 

ということで、あまり内容に踏み込まずに感想を書いたけど、もちろん内容自体もよかった。

読書ろぐ1 〜手始めに、自分を裏切るな。〜

 この本を、一人でも多くの人が読めば、世界はもっとよくなるだろう、なんて思うくらいには勧めたい本だ。

 

ぼくは読書が好きだ。

それ以上に、積読が好きだ。

 

「大学生 読むべき 本」

「ビジネス書 おすすめ」

「小説 100選」

 

など、平凡な言葉を並べて、スマホに調べさせる。

上から、何個かのサイトに目を滑らして、面白そうな本をメモする。

忘れた頃に、Bookoffに行って、僕の外付け記憶となったスマホからメモを引き出して、買い漁る。

 

ちょっと前まで新刊でしか買えなかった本が置いてあったりすると、それだけで得した気分になる。

 

実に健康的である。

 

運悪くぼくに購入された本たちは、ぼくの家の本棚に綺麗にしまわれる。

ちゃんと背表紙が見えるように並べられ、それらはそれから数日間は本棚の中で輝いていて、ぼくの目に入る位置でぼくの満足中枢を刺激する。

 

その輝きはもちろん永遠ではなく、意外と早く失われて、周りの本と同化して本棚を埋める本の一つに成り下がる。

 

そして、またぼくはBookoffに行く。

 

店の本棚にある本は、あれだけ輝いて見えるのに、家の本棚に置くと輝きを失ってしまうシステムはどういうことなのだろうか。

 

とまあ、イントロはこの辺で、本題に入る。

 

こうして、文字通りには積まれないまでも、ぼくの本棚の積読本を今年4月の引越しの際にたくさん持っていくことにした。

 

家の中に積読本しかない状態をつくることで、自然と読書が進むのではないか、と思ったからである。

 

この安直な作戦は、意外にも功を奏して、多くの本が、社会人になって暇になった(多くの大学院出身者は共感されるだろう)ぼくにとうとう読まれることになった。

 

そして、ちょっと前に読んだ本を多くの人に読んでほしいと思ったので、このブログに書くのだ。

 

と、ここまでは何も書いていないも同然。

 

ただ、なんだか今日は妙に手が動く。

 

文章欲が溜まっていたみたいだ。

 

紹介する本は、『自分の小さな「箱」から脱出する方法』だ。

 この本は、人間関係に悩むすべてのひとが読むべき本だろう。

家族、恋人、職場、、、というよりも人生において非常に重要な教訓が書かれている。

 

ここで残念なお知らせがある。

正直、この本の内容や教えについてここで説明することは非常に難しい。

これは書いてある内容が難しいのではなくて、内容を説明するのが難しいということだ。

 

内容は、ストーリー形式になっていて、非常に読みやすい。

 

すべてを説明できないけど、私的な観点からこの本で学んだことを少し記す。

 

誰もが心の中で、親や兄弟にイライラしたり、学校の友達にムカついたり、職場の上司や後輩を蔑んだり、電車で乗り合わせた臭いおっさんを軽蔑したことがあると思う。

 

相手が赤の他人で、関わることがないならばそれでいいかもしれないが、職場の仲間である場合は、自分のパフォーマンスにも影響してくる。

 

この本に書いてあることは、ズバリたった一つのことである。

 

「自分を裏切るな。」

 

どういうことかといえば、例えば、道を歩いている時に、足の悪いおばあちゃんが重い荷物を持って歩いているとしよう。

その時に、そのおばあちゃんを助けようという気持ちは心の隅に誰しも持つはずだ。

その気持ちを無視して、通り過ぎてしまうのではなく、その気持ちに従っておばあちゃんを助けるべきなのだ。

この助けるというのは、別に荷物を持ってあげるということだけをさすわけじゃない。

気にかけて声をかけるだけでもいいだろう。目配せするだけでもいいかもしれない。いろんな答えがあると思う。

とにかく、自分を裏切って、何も行動に移さないということをしてはいけないということだ。

 

人は、自分を裏切ると、自分を正当化するような考え方をしてしまうのだ。

 

例えば、もっと身近な家族や友人を思い起こしてほしい。

共同のシンクで自分の使った食器を洗おうとした時に、相手が使ったコップが洗われずに放置されている。

そのコップは、もちろん相手が洗うべきだ。なぜなら自分の使ったコップは自分で洗うのが当たり前だからだ。

でも、コップの1個くらいであれば、そこまで手間ではないので洗ってあげてもいいかという気持ちが心のどこか隅っこで浮かぶと思う。

そのときに、自分の気持ちを裏切って、相手のコップは洗わずに、自分のコップだけを洗うとどういうことが起きるか。

そう、自分の行動を正当化するように頭が働くのだ。

「相手は自分で使ったコップすら洗わない本当にだらしないやつだ。」

「それを分からせるために私は洗わなかったんだ。」

そんな風に考えるだろう。

この時点で、相手を「だらしないやつ」と言うレッテルを張っているのだ。

つまり、自分を正当化するために、余計に相手を蔑んでしまっている。つまり、現実を見る目が歪められてしまうのだ。

自分を裏切る前は、きっとそんなことは思ってなかったはずなのだ。

 

筆者は、自分を裏切ってしまった状態を、「箱に入っている」と形容している。

 

この本では、箱に入ることが、自分と自分の周りの世界ともにいかに大きな損失を与えるのかということを解説し、箱から出る方法や、箱に入らない方法を説いている。

 

「箱に入る」と、本当にいいことがない。

自分の感情に背く(自分を裏切る)ことが、いかに大きな損失を招くか。

 

この本を、一人でも多くの人が読めば、世界はもっとよくなるだろう、なんて思うくらいには勧めたい本だ。

 

マザーテレサの有名な言葉に以下のような言葉がある。

 

世界平和のためにできることですか?

まず家に帰って家族を愛しなさい

 

 

世界をよくするためには、まず自分が良くなること。

 

この本を読んで、ぼくの信条のひとつに、「自分を裏切らない」が追加された。

映画ろぐ2 〜『15時17分、パリ行き』危機に瀕した時は行動を起こせ〜

誰かのために生きることができる。 

 

15時17分、パリ行き/The 15:17 to Paris』は、実話を元にした映画である。

アムステルダムからパリへの高速列車に、観光でヨーロッパに来ていた3人のアメリカ人が、列車に乗り合わせたテロリストのテロ行為を阻止する実話である。

 

3人は、小学生の時に出会った。校長室の前で、だ。

そう、校長室に呼び出されるような出来の悪い3人組。

 

3人のうち二人は軍人になる。

そのうち一人は、出来の悪い軍人で、「脱落組」である救助を専門とする軍隊施設で訓練を行うことになった。

 

そんな3人が、夏休みのバカンスでヨーロッパを訪れる。

ローマ、ベネチア、ベルリン、アムステルダム

観光名所を尋ねながら、自撮り棒で写真をとる。

ボートの上で出会った人と、その日限りの観光を一緒にする。

バーで酒をのみ、隣に居合わせた老人と仲良く話す。

 

旅に出れば、誰もが経験する普通のことだ。

 

そして、アムステルダムからパリに向かう高速列車に乗る。

その列車で、テロリストと乗り合わせてしまう。

 

 何も飾られることのない、普通の3人組と普通の生活と普通のバカンス。

普通であるからこそ、テロリストが登場してからのシーンは、妙にリアルだった。

 

何気ない日常で、自分の身に起こったらどうすればいいのだろう。

そんなことを自問自答せずにはいられない。

 

一方で、どんな人間でも、行動を起こせばヒーローになることができる。

誰かのために生きることができる。

勇気が湧く映画だった。

 

この映画を見て、ぼくは感動して泣いた。

出来損ないの主人公に感情移入してしまう構成だったからだろうか。

決して、最後のシーンだけでは感動することはないから、構成がそうさせたに違いない。

 

監督は、クリント・イーストウッドClinton Eastwood Jr.

 

映画をあまり見ないぼくですらよく聞く名前だ。

 

この人なんと88歳。

巨匠である。

 

久しぶりに感動して泣いたいい映画だった。

映画ろぐ1 〜スリー・ビルボード〜

あれだけの暴力的なシーンがなかったかのようなきれいな終わり方だった

 

今まであまり映画に興味を持つことはなかった。

もちろんゼロだったわけじゃなく、映画を見ること自体は好きである。

 

見たい映画がある時に、映画館に足を運ぶ程度で、その見たい映画も年に3本程度。

 

大抵世間で大流行りしている映画ばっかり。

 

テレビも映画もそうだけど、つまらないところを飛ばせないというのが辛い。

 

だから、録画した番組を見たり、YouTubeを見ている時の方が気楽に見れる。

 

早回しとかスキップとか飛ばせして見れないのは、時間がもったいないくらいに思っている。

 

 

と映画批判をしているが、ここ最近、社会人になってから、週1本の映画を見るようになった。

ミニシアターに通っているのだ。

 

別に、そんなこと書かなくていいけど、今日見た映画は個人的に衝撃的だったので、ついブログを更新している。

 

感想を書くことで、映画観も鍛えられるのではないか。

 

これが最初で最後になる可能性もある……。

 

今日見た映画は、タイトルにあるとおりで、『スリー・ビルボード』。

英語タイトルは、”Three Billboards Outside Ebbing, Missouri”

監督は、Martin McDonagh。

調べると、この人はイギリスとアイルランドの両国籍を持っているらしい。ほかの代表作も書いてあるが、もちろんぼくが知らない作品ばかりだった。

 

映画自体は、非常に暴力的なシーンが多く、見ていて常にハラハラさせられた。次何が起こるのか、先を見たいようで見たくない、そんな気持ちにさせる。さらに、話の展開は急カーブが多くて、ほとんど観客は置いていかれる。

映画の最初は、単調だけど、中盤あたりからは急展開が多くなり、暴力的なシーンも多くなる。出てくる登場人物が順番に殴られて、血まみれになる。雑に言うとそんな感じだ。そんなストーリーを長らく見ているとあることに気づく。実はこの行き過ぎた暴力は、回り回って自分に返ってきているということに。それは、いつも暴力的な登場人物が、殴った相手に親切にされたことで、ほかの人に親切にしようとするという優しさのスパイラルに変化していく。自分がふるった暴力が 暴力として、返ってくるならば、人に優しくすることで優しさが返ってくる。何かを得たいなら、何かを与える側にならなくてはいけない。そういうことを学んでいったのか、暴力的でいることに疲れたのか、最後のシーンは、終わり方はとても澄み切っていて、あれだけの暴力的なシーンがなかったかのようなきれいな終わり方だった。

「悪の大王でいるより、正義のヒーローでいる方が簡単だ。」

20世紀少年のケンジのセリフが、このブログを書いていて頭をよぎる。

 

この映画は、今まで見たことない構成の映画で、個人的には衝撃的だった。

映画館を出た後も、消化できないこの映画のことをゆっくり考えてしまうくらいに。

 

 

ブログろぐ4 〜ブログを始めて約4ヶ月累計2000PVを突破した〜

5ヶ月前、ぼくはインドにいた。 

 

 わんばんこ。

 

ブログを初めて約4ヶ月、というより約5ヶ月に近いかもしれない。

とうとう2000PVを突破した。

 

 

urlog.hatenablog.jp

 

 

urlog.hatenablog.jp

 

 

urlog.hatenablog.jp

 

過去のブログろぐを並べてみると、

一ヶ月目・・・100PV

二ヶ月目・・・500PV

四ヶ月目・・・2000PV

八ヶ月目・・・   ⬜︎   PV

 

問)上記の⬜︎に入る数字を答えよ。

 

まるで算数の問題が作れてしまいそうな規則性を感じる。

実際に規則性があるかは知らないが、とりあえずいい感じに増えていそうである。

 

社会人になってから、なかなか更新できていない時期もあったが、こう地道にやっていると、スターをつけてくれる人や読者になってくれる方がいる。

 

果たして、その人たちの期待に答えることができているのかは分からないが…。

 

グラフを見ると、全然見てもらえない日の方が多い…。

 

もっと頻繁に更新しないとなーと思っている。

 

お気付きの人はいるかもしれないが、先週は平日5日連続で投稿してみた。

 

同じ人がスターをつけてくれて嬉しかったが、そういうことかもしれない。

 

ということで、2000PVをとるために頑張ったことは何かなど、有益な情報をここに書くことはない。

 

そもそも4ヶ月で2000PVはスローペースすぎるのではないか。

 

まあ、そんな声は無視してゆるりとやっていく。

 

これからもご贔屓に。