ゆるろぐ -Urbanisme Log-

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都市生活屋のブログ

読書ろぐ1 〜手始めに、自分を裏切るな。〜

 この本を、一人でも多くの人が読めば、世界はもっとよくなるだろう、なんて思うくらいには勧めたい本だ。

 

ぼくは読書が好きだ。

それ以上に、積読が好きだ。

 

「大学生 読むべき 本」

「ビジネス書 おすすめ」

「小説 100選」

 

など、平凡な言葉を並べて、スマホに調べさせる。

上から、何個かのサイトに目を滑らして、面白そうな本をメモする。

忘れた頃に、Bookoffに行って、僕の外付け記憶となったスマホからメモを引き出して、買い漁る。

 

ちょっと前まで新刊でしか買えなかった本が置いてあったりすると、それだけで得した気分になる。

 

実に健康的である。

 

運悪くぼくに購入された本たちは、ぼくの家の本棚に綺麗にしまわれる。

ちゃんと背表紙が見えるように並べられ、それらはそれから数日間は本棚の中で輝いていて、ぼくの目に入る位置でぼくの満足中枢を刺激する。

 

その輝きはもちろん永遠ではなく、意外と早く失われて、周りの本と同化して本棚を埋める本の一つに成り下がる。

 

そして、またぼくはBookoffに行く。

 

店の本棚にある本は、あれだけ輝いて見えるのに、家の本棚に置くと輝きを失ってしまうシステムはどういうことなのだろうか。

 

とまあ、イントロはこの辺で、本題に入る。

 

こうして、文字通りには積まれないまでも、ぼくの本棚の積読本を今年4月の引越しの際にたくさん持っていくことにした。

 

家の中に積読本しかない状態をつくることで、自然と読書が進むのではないか、と思ったからである。

 

この安直な作戦は、意外にも功を奏して、多くの本が、社会人になって暇になった(多くの大学院出身者は共感されるだろう)ぼくにとうとう読まれることになった。

 

そして、ちょっと前に読んだ本を多くの人に読んでほしいと思ったので、このブログに書くのだ。

 

と、ここまでは何も書いていないも同然。

 

ただ、なんだか今日は妙に手が動く。

 

文章欲が溜まっていたみたいだ。

 

紹介する本は、『自分の小さな「箱」から脱出する方法』だ。

 この本は、人間関係に悩むすべてのひとが読むべき本だろう。

家族、恋人、職場、、、というよりも人生において非常に重要な教訓が書かれている。

 

ここで残念なお知らせがある。

正直、この本の内容や教えについてここで説明することは非常に難しい。

これは書いてある内容が難しいのではなくて、内容を説明するのが難しいということだ。

 

内容は、ストーリー形式になっていて、非常に読みやすい。

 

すべてを説明できないけど、私的な観点からこの本で学んだことを少し記す。

 

誰もが心の中で、親や兄弟にイライラしたり、学校の友達にムカついたり、職場の上司や後輩を蔑んだり、電車で乗り合わせた臭いおっさんを軽蔑したことがあると思う。

 

相手が赤の他人で、関わることがないならばそれでいいかもしれないが、職場の仲間である場合は、自分のパフォーマンスにも影響してくる。

 

この本に書いてあることは、ズバリたった一つのことである。

 

「自分を裏切るな。」

 

どういうことかといえば、例えば、道を歩いている時に、足の悪いおばあちゃんが重い荷物を持って歩いているとしよう。

その時に、そのおばあちゃんを助けようという気持ちは心の隅に誰しも持つはずだ。

その気持ちを無視して、通り過ぎてしまうのではなく、その気持ちに従っておばあちゃんを助けるべきなのだ。

この助けるというのは、別に荷物を持ってあげるということだけをさすわけじゃない。

気にかけて声をかけるだけでもいいだろう。目配せするだけでもいいかもしれない。いろんな答えがあると思う。

とにかく、自分を裏切って、何も行動に移さないということをしてはいけないということだ。

 

人は、自分を裏切ると、自分を正当化するような考え方をしてしまうのだ。

 

例えば、もっと身近な家族や友人を思い起こしてほしい。

共同のシンクで自分の使った食器を洗おうとした時に、相手が使ったコップが洗われずに放置されている。

そのコップは、もちろん相手が洗うべきだ。なぜなら自分の使ったコップは自分で洗うのが当たり前だからだ。

でも、コップの1個くらいであれば、そこまで手間ではないので洗ってあげてもいいかという気持ちが心のどこか隅っこで浮かぶと思う。

そのときに、自分の気持ちを裏切って、相手のコップは洗わずに、自分のコップだけを洗うとどういうことが起きるか。

そう、自分の行動を正当化するように頭が働くのだ。

「相手は自分で使ったコップすら洗わない本当にだらしないやつだ。」

「それを分からせるために私は洗わなかったんだ。」

そんな風に考えるだろう。

この時点で、相手を「だらしないやつ」と言うレッテルを張っているのだ。

つまり、自分を正当化するために、余計に相手を蔑んでしまっている。つまり、現実を見る目が歪められてしまうのだ。

自分を裏切る前は、きっとそんなことは思ってなかったはずなのだ。

 

筆者は、自分を裏切ってしまった状態を、「箱に入っている」と形容している。

 

この本では、箱に入ることが、自分と自分の周りの世界ともにいかに大きな損失を与えるのかということを解説し、箱から出る方法や、箱に入らない方法を説いている。

 

「箱に入る」と、本当にいいことがない。

自分の感情に背く(自分を裏切る)ことが、いかに大きな損失を招くか。

 

この本を、一人でも多くの人が読めば、世界はもっとよくなるだろう、なんて思うくらいには勧めたい本だ。

 

マザーテレサの有名な言葉に以下のような言葉がある。

 

世界平和のためにできることですか?

まず家に帰って家族を愛しなさい

 

 

世界をよくするためには、まず自分が良くなること。

 

この本を読んで、ぼくの信条のひとつに、「自分を裏切らない」が追加された。

映画ろぐ2 〜『15時17分、パリ行き』危機に瀕した時は行動を起こせ〜

誰かのために生きることができる。 

 

15時17分、パリ行き/The 15:17 to Paris』は、実話を元にした映画である。

アムステルダムからパリへの高速列車に、観光でヨーロッパに来ていた3人のアメリカ人が、列車に乗り合わせたテロリストのテロ行為を阻止する実話である。

 

3人は、小学生の時に出会った。校長室の前で、だ。

そう、校長室に呼び出されるような出来の悪い3人組。

 

3人のうち二人は軍人になる。

そのうち一人は、出来の悪い軍人で、「脱落組」である救助を専門とする軍隊施設で訓練を行うことになった。

 

そんな3人が、夏休みのバカンスでヨーロッパを訪れる。

ローマ、ベネチア、ベルリン、アムステルダム

観光名所を尋ねながら、自撮り棒で写真をとる。

ボートの上で出会った人と、その日限りの観光を一緒にする。

バーで酒をのみ、隣に居合わせた老人と仲良く話す。

 

旅に出れば、誰もが経験する普通のことだ。

 

そして、アムステルダムからパリに向かう高速列車に乗る。

その列車で、テロリストと乗り合わせてしまう。

 

 何も飾られることのない、普通の3人組と普通の生活と普通のバカンス。

普通であるからこそ、テロリストが登場してからのシーンは、妙にリアルだった。

 

何気ない日常で、自分の身に起こったらどうすればいいのだろう。

そんなことを自問自答せずにはいられない。

 

一方で、どんな人間でも、行動を起こせばヒーローになることができる。

誰かのために生きることができる。

勇気が湧く映画だった。

 

この映画を見て、ぼくは感動して泣いた。

出来損ないの主人公に感情移入してしまう構成だったからだろうか。

決して、最後のシーンだけでは感動することはないから、構成がそうさせたに違いない。

 

監督は、クリント・イーストウッドClinton Eastwood Jr.

 

映画をあまり見ないぼくですらよく聞く名前だ。

 

この人なんと88歳。

巨匠である。

 

久しぶりに感動して泣いたいい映画だった。

映画ろぐ1 〜スリー・ビルボード〜

あれだけの暴力的なシーンがなかったかのようなきれいな終わり方だった

 

今まであまり映画に興味を持つことはなかった。

もちろんゼロだったわけじゃなく、映画を見ること自体は好きである。

 

見たい映画がある時に、映画館に足を運ぶ程度で、その見たい映画も年に3本程度。

 

大抵世間で大流行りしている映画ばっかり。

 

テレビも映画もそうだけど、つまらないところを飛ばせないというのが辛い。

 

だから、録画した番組を見たり、YouTubeを見ている時の方が気楽に見れる。

 

早回しとかスキップとか飛ばせして見れないのは、時間がもったいないくらいに思っている。

 

 

と映画批判をしているが、ここ最近、社会人になってから、週1本の映画を見るようになった。

ミニシアターに通っているのだ。

 

別に、そんなこと書かなくていいけど、今日見た映画は個人的に衝撃的だったので、ついブログを更新している。

 

感想を書くことで、映画観も鍛えられるのではないか。

 

これが最初で最後になる可能性もある……。

 

今日見た映画は、タイトルにあるとおりで、『スリー・ビルボード』。

英語タイトルは、”Three Billboards Outside Ebbing, Missouri”

監督は、Martin McDonagh。

調べると、この人はイギリスとアイルランドの両国籍を持っているらしい。ほかの代表作も書いてあるが、もちろんぼくが知らない作品ばかりだった。

 

映画自体は、非常に暴力的なシーンが多く、見ていて常にハラハラさせられた。次何が起こるのか、先を見たいようで見たくない、そんな気持ちにさせる。さらに、話の展開は急カーブが多くて、ほとんど観客は置いていかれる。

映画の最初は、単調だけど、中盤あたりからは急展開が多くなり、暴力的なシーンも多くなる。出てくる登場人物が順番に殴られて、血まみれになる。雑に言うとそんな感じだ。そんなストーリーを長らく見ているとあることに気づく。実はこの行き過ぎた暴力は、回り回って自分に返ってきているということに。それは、いつも暴力的な登場人物が、殴った相手に親切にされたことで、ほかの人に親切にしようとするという優しさのスパイラルに変化していく。自分がふるった暴力が 暴力として、返ってくるならば、人に優しくすることで優しさが返ってくる。何かを得たいなら、何かを与える側にならなくてはいけない。そういうことを学んでいったのか、暴力的でいることに疲れたのか、最後のシーンは、終わり方はとても澄み切っていて、あれだけの暴力的なシーンがなかったかのようなきれいな終わり方だった。

「悪の大王でいるより、正義のヒーローでいる方が簡単だ。」

20世紀少年のケンジのセリフが、このブログを書いていて頭をよぎる。

 

この映画は、今まで見たことない構成の映画で、個人的には衝撃的だった。

映画館を出た後も、消化できないこの映画のことをゆっくり考えてしまうくらいに。

 

 

ブログろぐ4 〜ブログを始めて約4ヶ月累計2000PVを突破した〜

5ヶ月前、ぼくはインドにいた。 

 

 わんばんこ。

 

ブログを初めて約4ヶ月、というより約5ヶ月に近いかもしれない。

とうとう2000PVを突破した。

 

 

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過去のブログろぐを並べてみると、

一ヶ月目・・・100PV

二ヶ月目・・・500PV

四ヶ月目・・・2000PV

八ヶ月目・・・   ⬜︎   PV

 

問)上記の⬜︎に入る数字を答えよ。

 

まるで算数の問題が作れてしまいそうな規則性を感じる。

実際に規則性があるかは知らないが、とりあえずいい感じに増えていそうである。

 

社会人になってから、なかなか更新できていない時期もあったが、こう地道にやっていると、スターをつけてくれる人や読者になってくれる方がいる。

 

果たして、その人たちの期待に答えることができているのかは分からないが…。

 

グラフを見ると、全然見てもらえない日の方が多い…。

 

もっと頻繁に更新しないとなーと思っている。

 

お気付きの人はいるかもしれないが、先週は平日5日連続で投稿してみた。

 

同じ人がスターをつけてくれて嬉しかったが、そういうことかもしれない。

 

ということで、2000PVをとるために頑張ったことは何かなど、有益な情報をここに書くことはない。

 

そもそも4ヶ月で2000PVはスローペースすぎるのではないか。

 

まあ、そんな声は無視してゆるりとやっていく。

 

これからもご贔屓に。

夢をかなえるゾウろぐ4 〜人が欲しがっているものを先取りする〜

この課題は具体的である。

 

第4課題は、「人が欲しがっているものを先取りする」

 

これは、結構難しい。

 

というのも、今までの課題が具体的であったのに対して、突然抽象度が増したからである。

 

↓これまでの課題たち

urlog.hatenablog.jp

 

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ぼくは、昔から相手の顔色を伺って行動するタイプの人間である。

相手がどういう感情で自分と向き合っているのか、すごく気を遣い疲れる。

目上の人が喋っている時にそれを一緒に聞いている人たちが無言、無反応でいると、どうしても気まずくて無駄に相槌を打たずにはいられないし、相手のミスを正す時にも、極力角が立たないように配慮する。

 

嫌われたくないとか、いい風に思われたいという気持ちが働いているのだと思う。

 

良い子でありたい、人間になってしまっていて、今でもそれはぼくの体に強く刻み込まれている。

 

一方で、言いように捉えれば、正義感がある、ということだ。

 

ぼくだけがそうしてあげられる。

ぼくだけでもあなたの味方になってあげる。

 

文字で書くと、どこか自意識過剰に見えてくる。

 

息苦しくも見えてくる。

 

でもそれは本人次第だから、あーだこーだ言うことではない。

 

人が欲しているものは、実に多様。

実際に手に入れてみてそれを欲しがってたんだなんて思うことだってあると思う。

そうなると、あとは自分次第。

自分が相手に与えてあげる努力をする。

それを相手がどう思うかはそのあとの話だと思う。

だから、与える人は、忘れた頃に与えたものの何倍もの量のものが返ってくる。

 

人生は、give and take.

 

僕の好きな本田圭佑は、海外のサッカーチームで自分にボールが回ってこないで活躍できないでいる時には、そんな時こそGIVEに徹したと語っていた。

徹底的までに、仲間に尽くす。

良いパスを出す。ボールのないところでも良い動きをする。チームに貢献する。

そうすることで、いつか必ずTAKEの番が回ってくると言っていた。

 

欲しいなら、与えることから始めよう。

愛されたいなら、愛すことから始めよう。

この原則は、とっても明快で分かりやすい。

 

ということで、この課題を通じてガネーシャが言いたいことは、「人生は、give and take」ということなんだろう。

そう考えると、「与える側になれ」という抽象的な言葉よりは、この課題は具体的である。

 

僕が今日したことは、上司が指示をする前に、上司がやってほしいと思った仕事をするということ。

これは正直、課題を達成したかを確認しづらいけど、僕は一生懸命考えてやってみた。

上司も悪い顔はしてなかった。

 

ということで、これは難しいけど、是非習慣化したい。

 

あー、あと「あいさつを自分からする」っていうのもやったよ。

 

 

DIYろぐ5 〜狭い空間では壁を最大限利用しよう【洗濯機編】〜

洗濯機の上のスペース余ってるよね。

 

 

DIYろぐ第5弾は、洗濯機上部のスペースの空間利用。

洗濯機の上のスペースは、囲われた狭い空間なので、前回記事で紹介したクローゼットと同じような対処で可能となる。

<リンク>

 

そして、とっても簡単に余剰空間の効率的利用ができる。

 

必要な材料はたったのひとつ。

つっぱり棒だ。

 

 今回は、試しに8本購入した。

 

取り付けは、ただ突っ張るだけ!

突っ張ることがおとこーのー。

DIY

 

はい。

 

写真のように、ハンガーをかけたり、洗濯カゴを置いたり、洗剤を置いたりと、いろいろできる。

 

 

ということで、狭い空間では壁を最大限利用することができるので、無理にツーバイフォーの柱などを立てる必要はない。

 

家の中のそういうスペースを見つけて、是非実践してみてね。

DIYろぐ4 〜狭い空間では壁を最大限利用しよう【クローゼット編】〜

 狭い空間だからこそ、壁に押し付けるというワザ

 

我が家のDIYは着々と進んでいる。

 

urlog.hatenablog.jp

 DIYろぐ2でも書いたように、DIYの手法というのは一定であり、結局は傷をつけて良い自由な壁や柱を作り、そこを起点に水平面を作り出すのである。

 

今回のターゲットは、クローゼットである。

 

約半畳ほどの大きさのクローゼット。こいつをどうにかつかえる状態にしたい。

↑beforeの写真は撮り忘れたが、こんなクローゼット。

 

これを快適に使えるようにする為にどうしたかといえば、もう上の写真でネタバレしているが、壁に沿ってすのこを立てて、すのこの出っ張りに板を置いて水平面をつくることにした。

 

こちらのスノコは、6枚1セットで購入したもの。もともとスノコベッドをDIYしようと企んでいたが、結局使わずに放置されていたものをたまたまクローゼットの中に入れたらぴったりのサイズだった。

そのほかの材料 

スノコ以外の準備物は以下である。

 

①天板×2枚

 

②有孔ボード

③フック用金具(洋折釘)

④百均のワイヤーネット